もりわじん絵日記 2007. 2
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2月18日 (日)  [1856] 吉日34

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 RAIN,FINE LATER
悟った人の言葉というのは俗世間を超えてあっちからの言葉だからか俗人には「おや?」と思わせる言葉が多い。例えば今の実力主義や金銭至上主義に対してのいい言葉がある。今も昔も人の心は変わってないんだね。老子(実在の人物かどうかは無視して)の言葉で最高の価値ある3つの宝というのがあって、その三番目の宝が「人々の先頭に立つ事を望まない事」とある。先頭というのは世間では名声や金持ちだったりするわけで、そこに価値がある。ところが名声や金持ちはその人の価値じゃない。なぜならそれを得た人の事を人々は羨ましいとは思うが尊敬はしないだろう。名声とお金に価値があるだけで本人には興味がない。そんな人が名も金も失ったりすると、人々は内心「ざまぁみろとかやっぱりね」などと思う。成った人もそうは言わせず尊敬させるためになんとか美辞麗句や美しき思想、いかに偉いか自慢話を語る。本当は尊敬が欲しかったわけだね。ならば先頭に立つ事を望まない事だ、となる。当を得ているな。しかし諦めて自分を磨く事をしないことではない、それはただの無価値だから。


2月17日 (土)  [1855] 吉日33

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  FINE
そんな昔の人の言葉は古いから今は通用しないと言うかもしれないが、そう邪険にできるものではない。昔の偉人を闇雲に信じるわけではないが、真理のエキスは時代や時間に関係ないものだ。いくら科学技術が発達したからといって、人々の思いや行動はあいも変わらずだろう。人々は病気や死を怖がる。いつの時代も政治家や大国の傍若無人な振る舞いが蔓延っているだろう。合理的に理性でもって幸福になるつもりではいるが、人類は破滅してもいいや、自分が生きている時代だけでも好き勝手やろう、としているのではないかとさえ思える。戦争をしたいと思っている人など一人もいないのに(頭捻れたバカは無視してね)未だに戦争してる。核爆弾だって誰も必要だとは思ってないのにどんどん増えてる。
ダルマの言葉で「煩悩が悟りを生じさせる」というのがある。これは迷いの心を滅するために、迷いの人々の心の中に悟りの心が目覚めてくる。迷ってぐるぐる思考巡らしたり快楽に逃げても自分に嘘ついて誤魔化しても解決にはならないからね。ハッとする事が起こる。行動も必要なんだろうけど。人は高みにいける素質を持っているんだと思うよ。


2月16日 (金)  [1854] 吉日32

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  FINE
ところがこの真ん中の「心」。これが問題だ。心には偽善というのがある。親鸞上人がこんな事を言っている。「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と。「善人でさえ極楽にいけるなら悪人なら尚更よ」という意味だ。これってだれだって変に思うだろう?「おいおい、悪人がなんで極楽いくんだよ。そんなんだったら、もう善人するのや〜めた」と。ここまで大袈裟に思わないでもこれに近い感じで変に思う。ところがこのように思う人は自分を善人と思っていることになる。自分で自分の事を善人だなんて言う人は、本当の善人ではないだろう。うぬぼれている、驕っている、善人ぶっている。つまり偽善者なわけだ。この親鸞上人の言葉は人々に自分の高慢さを気付かせ真実に目覚めさせるための言葉なんだね。本当の「心」を開花させるために‥


2月15日 (木)  [1853] 吉日31

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 FINE
「力」の所は一番下にあるから地からのエネルギーを受け上に向かう。これは生命力だ。これだけでは人間はケモノと同じで弱肉強食の世界。「知・力」で力と頭が合体すると武器戦争だらけのケダモノの世界になる。今の社会はこれが主だ。
大事なのは真ん中の「心」。自分の中心だ。これが発達していない。ここは上にも下にも右にも左にもいける自由自在の所だ。偏ったらバランスを失う。例えていえば綱渡り。上でも下でも右でも左でもなく、前に進む。進まなかったら落ちちゃうからね。
「力・心」では文化文明は発達しない。
「心・知」では生きる力がない。
「力・心・知」この3つをちゃんと統合する事だろう。


2月14日 (水)  [1852] 吉日30

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 RAIN
三丹田の「知」の所を発達させたのが今の頭主義だね。もちろん世界や宇宙を知りたい好奇心は山ぼどある。しかし、それが問題の種でもある。頭の上はもう天の世界だから頭は上から下を見る方向をもつ。高い所からものを言う感じだから横柄な性格を作りやすい。これが進むと頭主義は理論武装した傲慢な金銭至上主義になる‥ほんとはここを超えてゆけば悟性が芽生え美しいのだが、大抵この地点から先には行かない。天に行く方法は「知」では考えつかないのだ。なぜなら、例えていえば、無分別を理解しようとしても「知」ではできないのと同じだ。「知」とは分別分析して発展してきたもの。分かるとは分ける事なのだ。だから分けない無分別は分からないわけだ。天は全てであるから無分別なんだ。


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