もりわじん絵日記 2002. 5
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5月26日 (日)  [214] あっぱれ

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5月26日はれ雨雷・満月
さあて古展後半です。
いろんな人が訪れてきてはいろんな言葉が放たれています。
なるほど‥ずいぶん前に絵は描かない、作らない、考えないことだ‥などという言葉が頭をよぎったが、やはりそのとうりなんですねと、つくづく感じました。
これはノンイメージで確かな真実です。
ところで、展覧会をやっていると年に一度しかあわない人がたくさんいる。
これが、妙だ。
それもひさしぶりだからといって長時間懐かしい話に打ち込むわけでない。
やあ、え〜、どうしてた?元気だった?太ったね?変わらないねなど言って、まあ、いやいや、まいったなあ〜、元気元気、なんとなくね、そうそうなどの返事がかえり、だいたい話も終わりさよならをする。
じゃあ、またね、また来年、生きていろよ、気をつけて、ありがとう。
当り前の事だが、ほんとに変なものだ。
古展の名のとおり、1年ぶりの古い人と新たに再会する。
不思議なささいな優しさのようなものが漂う。
展覧会初めの頃は、パーティーがあって騒いで飲んで笑ってばんばん‥ていううのがけっこう楽しかったが、今回はそれほどでもなく、ひさしぶり会う人やはじめて会う人と又来年も会うのだろうかと人人を観る数分間が、グッとくる。
心地よい。
と、そんなわけで夕方後かたづけを手伝いの人とバタバタ‥古展も無事終了しました。
わかることあり、気付くことあり、全体的に我ながら良い個展でした。
もしかして、これがほんとの個展なのかも‥
みなさん、遠いところわざわざ来て頂きありがとうございました。
狐狸に懲りず、また来てクダシャンセ。


5月22日 (水)  [213] 心踊る

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5月22日晴れ
あれ?
あっ!、昨日の絵日記は21日じゃん。
まあいいか、しばらく絵日記かかないで古展会場に泊まり込んでたから日にちがわけ解らん。
もう、疲れが天まで上り、口内炎が四つもできています。
まったく‥子供の頃は今回の古展の2階の和室にいる観三河屋のようにちょいと内面ばかり見ている人当たりの悪い、郷土の方では『むんつ』と言うのだが、そんな小僧だったので、こうもいろんな人にいっぱいあうと、ますます観三河屋が自(時)画像に見える。
お客さんは、彼を見て思わず笑い、そして声をかけたくなると言う。
「だいじょうぶか?」「いっしょにいてやろうか?」と。
彼は‥ちがうんだ、そうじゃないんだ、静かにしてくれ、放っといてくれ‥などと言いたいながらも‥ハッとひとりっきりになっている自分に気付き‥つぶやく。
いや、そうでもないんだ、あーでもないんだ、こーでもないんだ‥
あ〜いったいどう言えば、どうすればいいんだ、と、動きがとれず、この場を人に心配させまいとじっとテレビを見たふりをしながら、自分を超えてとても深い所にあるほんとうの静けさと解け合っている。
でも、このままではホントの自分まで融けてなくなってしまうことに気付き、心を外に開け、快活に元気に、その洞穴からの脱出を試みる。
崖を登り、足をすくわれ、石が崩れ、けがしながら、ゼイゼイ言いながら登る。
そして、眺三河屋のところに辿り着き、すべてを宇宙を見渡す。
だから、どッと疲れちゃって口内炎。
前半はこんなもんで‥
とやっと、なんでもないが心踊る庭に帰ってまいりました。
今日は一日中庭に出て植物の植え替えやったり草とったり尺取り虫の背中さすったりして静かに暮らす。
よ〜し、また明日から古展、後半です、頑張ってみんべか、ほい。


5月20日 (月)  [212] 寝不足

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5月20日くもり時々雨
みなさんおまたせ、とうとう古展も始まりました。
14日は朝から夜中までバタバタ。
搬入前日の荷造り。
どれほど動くのだろうかと万歩計をつけてみたら外出ないのに9000歩。
あ〜もう展覧会などしないぞ〜というぐらい疲れとるぞ〜。
作品包んでても魅力ある作品に見えない。
なあんだよ、ただの作りもんじゃン、けっ、ばからし‥
15日、今日もバタバタ。
箱詰めし、迎えの車に押し込める。
あんまり荷物が多いので、沖縄の砂は止めようかと思った。
寝不足の疲れ大で、会場にいって砂のマンダラ作るのが、おっくうになってきちゃった。
でもいろんな箱をばらしてようやく入り切る。
じゃあ砂も持っていくか。
車は東京に向かう。
首都高に入り東京タワーが現れた。
あそこから飛び下りたのか‥と山チャンの顔が浮かぶ、ばかが‥
谷中につき、さっさと荷をおろしまたバタバタ。
ようやくまとまってきて、全体を見たら少々疲れも飛ぶ。
みなさんすごいといってくれたもんで、それではとマンダラを作る気力も出、作ってみる。
ひさしぶりの砂いじり、作り方も忘れていたがそのうち勘も戻りできました。
あとはお客さん待ち‥なかなかいいんじゃないですか。
1階の古展メイン会場では、70体もの昔の郷土招き猫の写真と僕の作った作品とを見ていく内に時間や意味や観念や言葉が失われてる事に気付く。
あっちでもなくこっちでもない。
あたらしくもなくふるくもない。
ぼくでもなくだれかでもない。
招き猫でもなくなんでもない。
残ったのは『観る』という行為だけである。
2階の大きい空間では眺三河屋が高い所から楽しげに宇宙を眺めている。
もうひとつの空間では、みなさんに思った以上に大人気の観三河屋がテレビに写る鯨をジーッと観ている‥ようだが、ホントは深い深い自己の内面を観察している。
空には幽体離脱したかのような猫の本質がほのかに光って観三河屋を観ている。
ここでも観るということが大切になっている。
…あ〜なる程そうだったのか。
これが猫でもない、ほんとの自分だったのか…
それにしてもこの何日間というものほとんど寝むれない‥


5月13日 (月)  [211] 時画像

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5月13日雨
仕上げ仕上げ
出来上がった作品にコーティング用のスプレーをしたいのだが、あいにくの大雨バリバリの雷なので、屋根のある玄関に段ボールで囲いを作って、シューッとしたのはいいが、こもってこもって、ちょいと吸っちゃって‥あ〜気持ちわりィ〜
あとは大作2体の最後の仕上げ。
名前は『眺三河屋』と『観三河屋』と名付けた。
両方とも「見る」という意味の言葉をつけた。
今回、昔の人の郷土猫などを観察して感じたことがある。
あーあの江戸の招き猫ね知ってる知ってる、とかいってるけど、実際粘土で作ってみると、今までものをしっかり見てないんだなあと気付く。
思ったのとはまるでぜんぜん違う。
見てるようで本当の本質は見てない。
たいてい知識で見てるようだ。
……観るとはとても大切なことです。
脳に一番近い感覚器官は目です。
目で感じたあとに言葉が分析するのです。
言葉は見るという感覚から一歩遅れているから微妙なズレがあります。
そのずれでものを見てはものの本質が、世界も社会も自分も見えてないことになります。
それは態度や作品に反影されます。
観るとは、言葉の前にある感覚(ものの本質)です。
これがセンスというものなのです……
小さい子供はあの真っ黒な瞳で本当にものを見ています。
だから時間を忘れる。
ズレがない。
てなわけで、みなさんじーっとなめるように見に来て下さい。
‥時の写生画を…
‥僕の時画像を…


5月12日 (日)  [210] めろじー

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5月12日晴れ
いい天気だ。
もう古展、今週です。
15日が搬入空間づくりと大変なので、作品に関れるのはあと3日。
はりきってパッパパッパとやらネバーギブアップ。
順調に進んでいるようには感づるのだが、ふと息つくために手を休めると、エ〜間に合うかなかなゼミが鳴く。
のだが、大空から大丈夫だよの風がふくふくギャラリー。
そりゃそうだ、このアトリエと庭と自分を囲む空の青のリズムでやってるのだからっぽの頭は無心。
うまく進むだろう、と気にせずまた筆をもつれた糸はほどかれる。
昼から助っ人ワンタがやってきてスピードアップかと思いきや、アートの話などするものだから楽しくなっちゃうチャウ犬。
最近、なかなかアートの話などできる人少なくなったからから音がする。
その点、アート大好き興味津々、路上で絵を出したりと、のりのいいワンタは飲込みも早く刺激にもなるンバで踊る。
‥‥‥‥‥‥‥
まあそんな感じで忙しいのダーットサン
作品はまだ羽織の紐つけてないめろじの芸者招きでーすットコドッコイ。
失礼しましタ招ギ嫌いのちまきさん。
ほんじゃがいも。
やめたやメタモルフォーゼ‥‥


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