4月22日 (火) [523] バビルサ
よし、天気がいい。 庭をひとまわりし、体操し‥ さて、やるぞ〜 バンバンやるぞ〜 すこぶるやるぞ〜 思いっきりやるぞ〜 スピーディにやるぞ〜 しっかりやるぞ〜 と、勢いよく、ほんとに始める。 昨日庭ほめられたから調子づいている。 ほめられたりすると反発してダメになる時もあるが、爺ほんとうに感動してくれたので頑張れる。 でも、問題が二つ。 ひとつは、瀬戸の工場に頼んだ作品が、イマイチ顔が悪い。 このままではダメだと感じ、送り返してやり直してもらう事に。 手間がかかるが展覧会に間に合わして下さい。 気に入る幅が広いからダメだしなんかしなくても大抵OKなのだが、今回はなぜかデリケート‥作家としての自信かな?。 もうひとつの問題、ギャラリーを四つも同時にやるので、いろいろ話し合いで大変。 といっても、ワシが話し合いしてるわけではないが、展示する作品に影響が出てスッキリしないのだ。 みんな、それぞれ自分を中心に物事を見るわけだから、それぞれの思いに誤差が生じてくる。 また人間には偽善やプライドというものがあるものだから本音と建て前に分裂し話しが複雑化する‥自由や愛という精神の解放があれば済む事なんだが‥ やっぱりお金が絡む事だからだろうかね? ワシも今回は瀬戸やいろんな人やバイト頼んだりして思った以上にお金がかかっている。 けど、経済を気にしない忘れるくらいの勢い面白み楽しさを味わわないで、なにが人生なもんか!〜じゃ。 身軽が楽だから借金してまでやらんが、人生は実験、未知への旅なのだ。
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4月21日 (月) [522] こんとん祭
昨日は鬼退治でどっと疲れ頭もうろう胃の調子もおかしい。 助けてくれるキジもサルも犬もいず、ただ膝の上でまるくなって寝たがるゆっくりとその辺りにスプレーしまくるチャイとずーっとベットで寝ているモミジと走りまくって道路まで遊びにいくヨンダイと食い意地はって金魚一匹食べてしまったかもしれないポッチー、どいつもこいつも役に立たん。 バイトのワンタまで具合が悪いからとやってこない。 一応ひとりで鬼退治はしたが、ほんとに鬼はいなくなったのだろうか?金銀財宝は手に入ったのだろうか? 今日は夕方金銀財宝の事をどこで嗅ぎ付けたのやら、僕を拾って育ててくれた爺がやってくる。 そういや、絵日記に植物の名前を書いていて思ったが、植えたはいいが名前を忘れている木がけっこうある、花などはほとんどわからん。 それで、苗木を買った時に付いてくる写真つきの名札を出していろいろ調べてみる。 ボケの名札があったので説明を読んだら「ボケは日本中どこでも育ちます」だって。 だからか〜近くにいっぱいいると思ったら、けっこうどこにもいるんだ。 さて、仕事仕事、幻よさらばじゃ。 仕上げに向かってまっしぐら〜 まずは、式神猫の本焼きのため釉薬付けをやる。 夕方遅く爺がやってきた。 庭を廻りびっくりしていた。 これを2年かけて作ったのならわかるが、二ヶ月でこんなにすごくなるとは驚きだ。 まるでバリ島のコテージに泊まってみている風景のようだ、だって。 ガハハハ、そうか、金銀財宝は庭だったのか。 この庭に、丈夫な身体も楽しみも幸福感も居心地もいただいたから金銀財宝以上の価値かもね。 あとはこんとん祭だ〜 パ〜ッと庭から貰ったエネルギーで華やかにしめやかに美しく楽しく居心地よくいきましょう。
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4月20日 (日) [521] 鬼
雨降り。 展覧会もまじかになると、頭パキパキ、身体大忙し。 いつもこういう未来の予定に追われるのは大嫌いだから、余裕を持って、あらっ!作品作ったら展覧会だった、ぐらいの気持ちで作品造りをやってんだが、思いもよらなかった事務的な作業が沢山出てきてあせる。 展覧会情報をみんなに送るためたまっていた名刺のEメールをパソコンに打ち込んだり、Eメールのない人にはFAXを送る。 こんな仕事で半日は潰れる。 DMは少々惚けてきたのかのんびり屋の板さんまだできてないという、ほんとにてんやわんやの時にDMなど送ってられないから諦めなければならんかも。 大作を置く台を作ってもらっているのだが、高さん音沙汰ない。 それ以外にもあれこれ‥ あ"〜〜〜プチッ‥きれた。 邪魔をしに鬼がやってきた! 自分の恩を買えという。 いつまでもいつまでもこの忙しいのに鬼は帰らずその辺りの大切な空気をピキピキカリカリと傷つけてゆく。 たてつく、逆らう、意地はる、攻撃、頑固‥ 庭では、桜もモクレンもコブシも花は散り、赤い花もも、白い花もも、ピンクのもも、梨、リンゴ、ハナミズキ、寒山が花咲き、エゴノキ、エニシダ、ミモザ、くり、ザクロ、イチジク、キューイ、柿、ライラック、姫シャラ、ゆず、きゃらの木、イチョウ、ケヤキ、白樺などが新葉を出し始めちゃんと生きている。 地面に植えた草花も花が咲いては萎み枯れ新たな芽をだしまた花を咲かしている。 鉢に植えた木も寄せ植えした花々も畑の作物もみなまっすぐに成長している。 自然は驕ったり手柄を主張したり恩を売ったりしない。 決して自慢したりせず過去など振り返らず一歩一歩変化生成してゆく。 自然でないものはみな幻だ‥幻は変化を嫌う。 この庭に鬼を入れてはいけない! と、立ち上がり、鬼のような仁王になって門に立つ。 幻め、ここから一歩たりとも中には入れんぞ!
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4月19日 (土) [520] 自信
ずいぶん知らない間にいっぱい粘土いじったみたいで、一昨日の泥付け昨日の泥落としと大変、立ちっぱなしで膝が痛いわ首もまだ治ってないからおかしい、疲れて爆睡しました。 こりゃア、ガンバンないと、間に合わなくなるな。 それでも、朝の庭徘徊は老人のようにチンタラ眺めまわる。 最後に池のベンチに座り爪などを切る。 ハンゲショウが伸びもう水面より顔を出している。 絡まっている藻をとってやり捨てる。 この緑色のわたのような藻は、冬の間、水鉢に沢山はびこり、そのまま水鉢の植物を池に移し変えたので池にもある。 この藻がある事によってメダカなどが冬の寒さをしのげ敵から身を隠す事もできるのはいいのだが、ふえ過ぎて水が濁っているように見えるし他の植物に絡まってスッキリしない。 夏になったら日射しで死んでしまうような‥それとも、タニシやメダカが食って減ってゆくような‥気もするのだがどうだろう? あっ!アメンボが2匹ふえている‥計4匹。 これは身体が小さいからたぶんオスだろう。 あのもともといたメスによってつられて飛んできたのか? 泥に幼虫でいて孵化したのか? 飛んできたのならメスにつられたわけだからオスばっかりのハーレムになってしまうではないか? そんなにいっぱいのオスを相手に出来ないからあぶれたオス共は新たなメスを探して旅立つのだろうか? さて、今日は昨日泥を落とした作品に新たな下地を塗る。 これを塗ると深みが出るし、のちのち色合いが複雑化して豊かになるのだ。 ワシの場合、土台と下地に90%はかける。 そのあと、目を描くのだが、今までと違い絵の具を数種類混ぜ変化をつける。 泣き猫や天才福猫、ひとつひとつ顔の表情が違うので目を入れると生きる。 ア〜、楽しい、ずーっとやっていたい。 なんか、初めて?アーティストとしての自信を感じた。 いい展覧会できそう‥フフ
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4月18日 (金) [519] 自己否定
ぐっすり寝ました。 バーベQコンロを作ったところの芝生が少々枯れているので、全体に肥料と目土を混ぜたものを撒き水をたっぷり与える。 道路や下水溝に桜の花びらがいっぱい溜まっているので掃除する。 庭いじりはささやかにこれぐらいにして、早々と昨日泥付けした作品に絵の具をささっと塗り濡れた布で泥と絵の具を落としてゆく。 立ちっぱなしなので、仕事の合間に池のベンチに座り足を揉みほぐす。 池を観ていて気付いたのだが‥心理的で具体的でないあれほしいあれなりたいなどのちょっと度が過ぎ悩んでしまうような欲望だが、これって自己否定なのでは? 悩む程あれほしいあれなりたいと思うのは、あれが手に入って初めて満足するわけだから、今の自分が嫌なわけだよね。 今の自分が好きだったら悩む程あれほしいあれなりたいとは思わないだろう。 だから、自己否定、自分を嫌いな事になる。 問題は、自分を否定したり嫌ったりしている本人があれほしいあれなりたいと願っても嫌いな頭脳が願っている憧れだから、ほんとうの満足ではないだろう。 では自己否定などという暗いマイナスはやめて、逆に自己肯定をするとする。 自分を好きになるのはいいのだが、度が過ぎた自己肯定は傲慢で私が正しい私は間違っていないなどと暴君のようになって嫌われる。 自分で嫌うのが自己否定で、他人に嫌われるのが自己肯定、実際はコインの裏表で同じものだ。 戦争とは、ア〜してやるという自己肯定の暴君らとア〜なりたいという自己否定の民衆の度が過ぎる欲望が沸き起こすものかもね。 大切なのは自己認識です。 認識とは‥あれほしいあれなりたいと外に自分を求めるのではなく、そう思うのはなぜなのか、内部の自己を理解する事。 例えば、もし、他人と比較して抽象的なあれほしいあれなりたいに悩んでいるのなら、それは幻に捕われているひがみというもので愛でも自由でもなく美しくもありません‥ じ〜っと池の中の自分を観ていた。 ハンゲショウの茎が水面近くまで伸びている。 もうすぐ、ハンゲショウもスイレンも葉を広げ美しく楽しい花を咲かし、池の中の幻の自分はいなくなるだろう。
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