4月18日 (金)  [519] 自己否定

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ぐっすり寝ました。
バーベQコンロを作ったところの芝生が少々枯れているので、全体に肥料と目土を混ぜたものを撒き水をたっぷり与える。
道路や下水溝に桜の花びらがいっぱい溜まっているので掃除する。
庭いじりはささやかにこれぐらいにして、早々と昨日泥付けした作品に絵の具をささっと塗り濡れた布で泥と絵の具を落としてゆく。
立ちっぱなしなので、仕事の合間に池のベンチに座り足を揉みほぐす。
池を観ていて気付いたのだが‥心理的で具体的でないあれほしいあれなりたいなどのちょっと度が過ぎ悩んでしまうような欲望だが、これって自己否定なのでは?
悩む程あれほしいあれなりたいと思うのは、あれが手に入って初めて満足するわけだから、今の自分が嫌なわけだよね。
今の自分が好きだったら悩む程あれほしいあれなりたいとは思わないだろう。
だから、自己否定、自分を嫌いな事になる。
問題は、自分を否定したり嫌ったりしている本人があれほしいあれなりたいと願っても嫌いな頭脳が願っている憧れだから、ほんとうの満足ではないだろう。
では自己否定などという暗いマイナスはやめて、逆に自己肯定をするとする。
自分を好きになるのはいいのだが、度が過ぎた自己肯定は傲慢で私が正しい私は間違っていないなどと暴君のようになって嫌われる。
自分で嫌うのが自己否定で、他人に嫌われるのが自己肯定、実際はコインの裏表で同じものだ。
戦争とは、ア〜してやるという自己肯定の暴君らとア〜なりたいという自己否定の民衆の度が過ぎる欲望が沸き起こすものかもね。
大切なのは自己認識です。
認識とは‥あれほしいあれなりたいと外に自分を求めるのではなく、そう思うのはなぜなのか、内部の自己を理解する事。
例えば、もし、他人と比較して抽象的なあれほしいあれなりたいに悩んでいるのなら、それは幻に捕われているひがみというもので愛でも自由でもなく美しくもありません‥
じ〜っと池の中の自分を観ていた。
ハンゲショウの茎が水面近くまで伸びている。
もうすぐ、ハンゲショウもスイレンも葉を広げ美しく楽しい花を咲かし、池の中の幻の自分はいなくなるだろう。