4月17日 (木)  [518] 030417 観自在菩薩

20030417-1.jpg

今日はバリバリ作品造りに励むぞー
と、思ったがこんなに天気いいのに庭いじりしないのは身体に悪い、仕事に追われているようで気分も悪い、いくら好きでやっている粘土いじりとはいえ働きアリみたいになったのではアホクサ。
庭に出てやり残していた階段を3段作る。
ところで、『出世』というものと近い言葉で『出家』というのがあるが、出家とはつまらんがんじがらめの家を出て親や友人や恋人に頼らず、空のような広がりを悟る修行に入る事。
という事は、やはり出世ももともとの意味は世に出る事ではなく、世を出て自由になる事では?
毎日毎日将来の心配だの偉くなれだの金カネカネだの名声だの世界制覇だのという世の中の損得浮き沈みなどの競争で自惚れ屋とひがみ屋ばかりで安心もないこの世。
そんな世を出る事、本来はそんな意味だったのに、俗の中で汚れてエゴの都合のいいような捕らえ方をされるようになったのだろう。
世を出るといっても、山に籠る事ではないよ。
山も世、都会も世、外国も世、あの世も世。
さて、階段も作り絵日記も描いたし下地塗りも終わった事だし、今日は作品に泥付けをする。
この技法は去年の古展という個展で身につけたやり方で、見た目も気に入っているが何よりこれをやる時の運動が心地よいのだ。
せっせせっせと泥付けをする。
なぜ心地よいのか?
リズミカルなので頭がからっぽになり、全ての形色が鮮烈に観えナチュラルハイ。
身体の動きに無駄がないので自由自在。
苦悩や不安や恐怖が失せる。
あの世にいるようなこの世、観自在菩薩‥
今、この瞬間、出世しているんだね。