2月6日 (水) [124] 号泣
2月6日曇り晴れ 朝起きて、飯も食わずに草取りをやった。 とことんはまってとことんやってしまい、気付いたらお昼を過ぎていた。 午後、電話が鳴った。 友だちが自殺した。 とっても驚いた。 とてつもなく悲しいッス。 声を出して泣いた。 彼は32歳、頭がよく真面目で色男で知識やアートや特に音楽などすべてを吸収した。 何もかも飲み込むが何も放たなかった。 まるでブラックホールのような存在だった。 とっても魅力的で捕らえ所がなく少年のような純粋さを持っていた。 少年は、何もかもに圧迫され、叫ぶが、その声も自分で飲み込み、誰にも何も放つ事ができずにいたのだろうか? 少年の時計が止まる前に、少年はすべてを放つために高い東京タワーに上り全身全霊を放った。 ブラックホールは自らを飲み込み消えた。 そういや、彼と、人は死んだら星になる、って話ししたっけなあ〜 あ〜あ 夜は焼酎をコップに入れ、 ‥やまちゃん、さようなら‥ とっても悲しいよ。 新居にいつ遊びにくるんだい?
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2月5日 (火) [123] シェイク
2月5日曇り雨 早く起きたが、調子よくない。 天気と動物は一緒なのでシンクロしているのだろうか? それとも、昨日の小山登りがこたえたのかも。 あ〜くらくらする。 登ってる時、屋久島の山道がフラッシュバックしたもんね。 屋久島の山登ると性欲や金欲や欲という欲がちっぽけになっちゃってスッゴイ気分になるんだ。 ここに住もうと思ったくらいだもん。 だからそういう人がけっこういる。 汗かいてぜいぜい言いながら登ってふと周りを見渡すと地面から木からどこもかしこもふかふかのコケだらけ。 なんだ〜ここは〜? そこら中にせせらぎがあり、飲むとメチャンこうまい。 目の前を一角獣や妖精やコロボックルなどが通る。 何じゃ〜ここは〜メルヘンかよ? ハイキング・ハイとでも言うのだろうか? みなさん、屋久島いってみて下さい、いいよ。 今日は絵付けの為の下地の色づくりをやった。 大きな入れ物にいろんな色を入れ、力一杯シェイクする。 いい色ができたのだが、くらくらする。 だめだ、めまいがする。 それなのに、それなのに、それに加えて、何を血迷うたか、鉄アレイ持ったり腹筋やったりしてしまっった。 阿呆や、吐きそう、死にそう〜〜〜
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2月4日 (月) [122] マリ
2月4日晴れ 近所を歩いて、坂を上り、林の中に入り、けもの道を登り、木の枝に引っ掛かり、落ち葉を踏み、雪に足をとられ、木にすがり、ハアハアぜいぜい、足がおぼつかなくなり、小さな山の頂上についた。 心臓はバクバク、汗びっしょりになった。 帰り道、園芸店に芝生の種でも買おうと入った。 犬がいた、じっとして動かない、つながれていない、置き物のようだ。 目がちっこく、なんかとっても可愛い。 おばさんから聞いたら名前はマリ、盲目らしい。 僕も小さい頃白い犬を飼っていた。 あの頃は、よほど大きく乱暴でなければ犬を鎖につなぐ事はなかった。 だから野良犬もよく見かけた。やまばとや雉やたぬきやイタチもいた。 今、野良犬も野生動物も見かけなくなった。 野良猫もいづれいなくなるのだろうか? 鼻たらした野良ガキも見かけなくなった。 野良カラスも野良鳩も野良雀も野良ツバメもいなくなるのだろうか? 自然体の動物や子供や人間はみんないなくなるのだろうか? ……人間は自然の恩恵に預かっていることも人間そのものが自然である事にも気付かず自然や無垢を殺そうとします。まるで自殺行為です。 さて、自然をいっぱい殺して自分の都合のいい風景を手に入れたとしても、それは本当に美しい風景でしょうか? かたよった風景で、全体ではありません。 どこかに排除された都合の悪い風景は出現します。 失業者や浮浪者として身に降り掛かるのでしょうか? しかし、それまでも不快な野良だと差別され、大人のそんな偏った考えを浴びた子供らが汚いゴミとしていたぶり殺します。 そして野良人間もいなくなります。 目の前の風景がやっと都合良くなったように見えても私達の心の中に野良は住み着いています。 人は心の中の野良猫のさかりのついた奇声を、今度はどうやって殺すのだろう? この心の中の野良に苦しめられ自殺しようとする。 が、できず、他人に投影し殺人を犯し法によって殺される。 自分ひとり死ぬために多数を殺す死刑制度を利用した自殺です。 人を殺しても自分が死んでも都合のよい風景はできません。 なぜなら殺人や自殺は都合の悪い風景だからです。 ほんとの活き活きした風景・世界とは、ひとりひとり自らの自然を知る事です。
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2月3日 (日) [121] キノコ姫
2月3日雨雪 朝から雨降りで粘土いじりののりも悪い。 雨も少しずつ雪に変わってきた。 雪になって積もっちゃうと車乗るのも恐いので、今のうち雨の中灯油やなんやかんやを買いに出かけた。 マーケットの中をかごを押しながら食品を見て歩く。 高校の頃、冬場だけ雪が深くて学校に通えないので下宿してて食ったあのおかずが食いたい。 あれうまかったなあ〜 あの味を思い浮かべると、その頃の下宿の部屋3畳や下宿屋の親父の嫁さんが死んで嫁さんの妹を嫁さんにした事や銭湯いって女風呂が見えるのでズーッと風呂はいっていた事など思い出す。 そういや、子供の頃は何でも初めての食いもンだから大抵とっても旨かった。 ラーメン初めて食った時はこれはすごいと感じた。 大判焼にはかなりハマった。 チョコパフェは150円だったかな? これはあまりの旨さに学校の帰りに相当食った。 タコ焼きもすばらしかった。 すごかったのは寿司、将来寿司職人になるつもりでいたもんな。 コーラには驚いた。 不思議な味ででいつまでも口の中でしゅわしゅわしてた。 大人になって感動したのはタイ料理。 これはハマりにハマった。 今は何食ってもそれほど驚かない。 そのかわり、一口200回よくかんで食うとその食材のお姫さまに会える事を知った。 それはそれは心地いいものなんだが、時間はかかるし面倒で猫のように早いうち飲み込んじゃうので、お姫さまには会えないし腸は悪くするしで、ホント、まったく‥‥ お姫さま〜今度会いに行くから、待っててねえ〜
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2月2日 (土) [120] 一体感
2月2日やや晴れ 昨日はめちゃんこ歩いたンで疲れぐっすり眠り‥ゆっくり目を覚ました。 腸の調子もいい。 今日はのんびりと粘土いじりをした。 デッキづくりのショウちゃんを見る。 柱を切り時々奇声をあげる。 仕事はきっちりしているのだがとってもスロー。 いつできるのだろうか? 塗料をぬっていたが、思ってたより色が明るい。 これでは夏場の照り返しが大変なので、色を変更してもらう事にした。 夕方猫ドアリフォームのハンニャンが来た。 楽しい事と辛い事に付いて話した。 ……なぜか個人の周りには、必ずと言っていい程会って楽しい人と会って辛い人がいます。 辛い相手がいなくなればいいのかと思えば、いなくなったらいなくなったで、また辛い相手を知らずに作ってしまいます。 例えば家族がいてじいちゃんがうっとうしいとします。 じいちゃんいなくなってよかったかなあと思ったら、次は母ちゃんがうっとうしくなったりします。 会社でもそうです、友人関係でもそうです。 猫飼っててもそうです。 ひとりでいてもそうで、自分の内部に辛い嫌いを作ります。 好きを作るために、嫌いを作ってしまうのかも知れません。 嫌いを排除しても、今度は好きの中から嫌いをつくり出してしまうのです。 好き嫌いはふたつでひとつなのです。 嫌いを排除する事はできません。 好きだけの世界を欲求するから嫌いが反欲求になるのです。 欲求が無くなれば反欲求も無くなり、好きも嫌いも消えすべてがひとつになります。 まるで反対のものが解け合うような感覚。 これが一体感です。
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