もりわじん絵日記 2002. 2
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2月12日 (火)  [129] 止まらない

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2月12日晴れ
下水道の工事が来た。
トイレが使えなくなったりするので、少々下半身が落ち着かない。
今日はかなり真面目に絵付けをやった。
これで一段落した。
明日からはバリバリ次のステップに進むぞ〜
なにせ、この間父親が来てギャラリーふくふく猫を見て気に入っちゃって、田舎に店を作ると言い出したのだ。
あの親父、言い出したら止まらない、走り続ける。
親父さんのやっているそば屋の横に、前にソフトクリーム屋をやっていた小さい店があいているので、ちょうどいいという事で、そこに4月初めにオープンするというのだ。
そんな急な〜作品がない、どうしよう、個展もあるし‥
よし風呂屋でのんびりスケジュールをたてよう。
あ〜気持ちいい。
‥‥‥‥‥‥
何考えるんだっけ?


2月11日 (月)  [128] 梅の花

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2月11日晴れ
昨日は寒い所、窮屈な服着て腹冷えた上に、冷えたビール飲んでひさしぶりにみんなで騒いだもんだから、夜中腹が痛くて目がさめピーーーだった。
朝風呂はいってのんびりと身体を快復させた。
昼過ぎ電気屋さんが来た。
感電した事ってある?
「何回もありますよ」
え!何回もあるんだ。
すっごいのある?
「自分じゃないけど、仲間が目の前で飛んだよ」
へえ〜やばいな、昨日飛んだやつ送ったばっかりだし。
仕事テーブルの上の電気を工事してる時、水使っているし、ビビビ‥なんとなく不安なので作品をかたずけ庭の梅でも眺める事にした。
夕方、昨日までの慌ただしさをスッキリさせるため湖まで散歩した。
初めて湖の際まで来てみた。
今は緑も少なく花もないが、春になれば湖の周り一面が花盛りになる。
その時がとっても楽しみだ。


2月10日 (日)  [127] 葬式

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2月10日寒い曇り
今日は葬式です。
東京に行く電車から見た風景はどんよりと曇りコショウのような粉雪が降っていた。
スーツやネクタイなどした事ないものだから窮屈で窮屈でとっても苦しい。
斎場のある駅に着いたらバッタリ、あらら、懐かしい。
葬式とは、ひさしぶりにいろんな人と再会する所である。
本人とは2度と会えない最後の別れの所だけどね‥
みんな黒い服を着ているから普段の個性が隠されとっても静かである。
自殺という事で、親御さんは密かに葬儀を、という事らしく、斎場に名前も出さないし式を行う所も隅っこの小さな所であった。
豊かな家庭に生まれ、学歴社会のトップを出、一流企業に就職したが、彼の純真な少年魂は、何のための人生か?に疑問を持ち、脱サラして、芸術や農業などいろんな事に挑戦していった。
負け知らずの人生だった。
他人から見たら社会の脱落者かも知れんが、彼の探究心はとっても魅力的で活き活きしていた。
そして究極‥明確に‥自分の強くなろうとする意志が、強い事ではなく、弱い人間の行いであると悟った‥その時、彼は宙を飛んでいた。
彼は遺書も残さず、部屋はいつものように服が脱ぎ捨てられ、誰から見ても死ぬ理由が解らない。
みんなそれぞれいろんなわけを並べるが、どれもこれも想像である。
そんな中でも、誰かが霊媒師に訪ねたらしく、彼の霊が出て来て曰く「しくじっちゃったよ」だって。
いまごろ遅いよ、バカ、生き返ったら殺してやるからな!
TVのニュースでは、住所不定無職とでていた。
そんなものなのだろう‥‥


2月8日 (金)  [126] 無為自然

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2月8日晴れ
朝の体操してる所に、デッキづくりのしょうちゃんがやって来たので一緒に体操やった。
今日は、自殺なんかくそくらえとカラフルな絵をかいた。
世にいろんな人が自殺していったが、どれもこれも所詮人のやる事、大自然のダイナミックさからいったら些細な事。
自然をなめたらいけん、人生なめたらいけん、老人になり損ねたらいけん。
世の中じゃあ二十歳になったらババアだなどという言葉を耳にした事があるが、とんでもございません。
20代なんてまだ生まれてもいない細胞分裂し始めたばかりの虫。
30代なんて生まれたての言葉も知らない赤ん坊だ。
バブバブしか言えんくせして、自分でケツもふけんくせして、適当な所で大人ぶって未来を閉じたり結論つけたりしちゃいけん。
ダサイロマンチスト、メルヘン見てんじゃねえ〜‥などとひとりクダまきながら外を見たら、しょうちゃん昼飯食ってる。
実に美しい見事な風景だ。
こうでなくっちゃ。
青い空、日射し、ウメの花、香り、木々、草、風、鳥の声、心臓の音、呼吸‥
……人は人為を重大視し、それに賞賛や罰を与え喜んだり悔しがったりします。
大切なのは、この目の前にある何でもない雄大な時の流れです。
大切という言葉は大を切ると書きます。
大とは、重大視された人為の事です。
つまり、大切なのは、人為を重大視せず切り落とし、そこにある無為を見る事なのです……
みなさん、いちいち自然に逆らわず立派に朽ちた老人になりましょう。
どんなもんか味わってみなけりゃ、何も解らんからね。
夕方、少しできたデッキの上でくるっと前転してみた。
あ〜気持ちいい〜
早く走り回りたい。


2月7日 (木)  [125] 達成

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2月7日晴れ春のよう
なのに、僕の心は重く暗く曇っています。
だが、いつまでも悲しんではいられない。
僕の涙は、死んだ彼の為ではなく、自分の不甲斐無さ寂しさでしかありえない。
結局、自分本意の身勝手な涙だ。
自殺のわけが、何かに対する恐怖や苦痛や不安や存在の希薄さや復讐やパフォーマンスと様々あるだろうが、これらはいわゆる達成というものに向かっている。
僕は生きているんだ、間違いなく。
生きている人間が死んだ思いに左右される事はない。
死という未知を知識で知ったように弄ぶのは、あまりにも悲しいエゴだ。
さあ、このあたたかい風のように軽やかになろう。
……達成とは何でしょう?
それは苦しい者が夢見る幻ではないでしょうか?
苦しみから逃げたい者が描く絵だから、苦しみが下地になっています。
ほんとの達成とは、まったく苦しみのひとかけらもないものではないでしょうか?
もし、達成という幻を追う事を止めたのなら、苦しみから解放されるのではないでしょうか?
例えば、達成が上で苦しみが下だとします。
上とは下が望む姿なわけです。
もし上がなければ下は存在するでしょうか?
無重力のところで、上を見ようと思っても上はありません、ゆえに下もありません。
上・達成を幻とハッキリ知覚すれば追ったりしなくなり、下・苦しみが無くなるのではないでしょうか?
自殺とは、大きな達成と大きな苦しみを両手に抱えているものです。
何故そんなにいっぱいひとりで抱えるのでしょう?
重すぎます。
心が重すぎます。
だから他人の心も重くなります。
親も恋人も友人も重く辛くなります。
それは無重力ではありません。
肉体を捨てるのではなく、抱えているものを捨てて下さい。
死ぬ前に人前で大声で子供のように泣いて下さい。
もしかしたら涙と一緒に抱えてるものは流れるかも知れません。
あなたの心もみんなの心も軽やかになります。
これがあなたの達成するべき事なのです。


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