2月7日 (木)  [125] 達成

20020207-1.jpg

2月7日晴れ春のよう
なのに、僕の心は重く暗く曇っています。
だが、いつまでも悲しんではいられない。
僕の涙は、死んだ彼の為ではなく、自分の不甲斐無さ寂しさでしかありえない。
結局、自分本意の身勝手な涙だ。
自殺のわけが、何かに対する恐怖や苦痛や不安や存在の希薄さや復讐やパフォーマンスと様々あるだろうが、これらはいわゆる達成というものに向かっている。
僕は生きているんだ、間違いなく。
生きている人間が死んだ思いに左右される事はない。
死という未知を知識で知ったように弄ぶのは、あまりにも悲しいエゴだ。
さあ、このあたたかい風のように軽やかになろう。
……達成とは何でしょう?
それは苦しい者が夢見る幻ではないでしょうか?
苦しみから逃げたい者が描く絵だから、苦しみが下地になっています。
ほんとの達成とは、まったく苦しみのひとかけらもないものではないでしょうか?
もし、達成という幻を追う事を止めたのなら、苦しみから解放されるのではないでしょうか?
例えば、達成が上で苦しみが下だとします。
上とは下が望む姿なわけです。
もし上がなければ下は存在するでしょうか?
無重力のところで、上を見ようと思っても上はありません、ゆえに下もありません。
上・達成を幻とハッキリ知覚すれば追ったりしなくなり、下・苦しみが無くなるのではないでしょうか?
自殺とは、大きな達成と大きな苦しみを両手に抱えているものです。
何故そんなにいっぱいひとりで抱えるのでしょう?
重すぎます。
心が重すぎます。
だから他人の心も重くなります。
親も恋人も友人も重く辛くなります。
それは無重力ではありません。
肉体を捨てるのではなく、抱えているものを捨てて下さい。
死ぬ前に人前で大声で子供のように泣いて下さい。
もしかしたら涙と一緒に抱えてるものは流れるかも知れません。
あなたの心もみんなの心も軽やかになります。
これがあなたの達成するべき事なのです。