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2月4日 (月) [122] マリ 2月4日晴れ 近所を歩いて、坂を上り、林の中に入り、けもの道を登り、木の枝に引っ掛かり、落ち葉を踏み、雪に足をとられ、木にすがり、ハアハアぜいぜい、足がおぼつかなくなり、小さな山の頂上についた。 心臓はバクバク、汗びっしょりになった。 帰り道、園芸店に芝生の種でも買おうと入った。 犬がいた、じっとして動かない、つながれていない、置き物のようだ。 目がちっこく、なんかとっても可愛い。 おばさんから聞いたら名前はマリ、盲目らしい。 僕も小さい頃白い犬を飼っていた。 あの頃は、よほど大きく乱暴でなければ犬を鎖につなぐ事はなかった。 だから野良犬もよく見かけた。やまばとや雉やたぬきやイタチもいた。 今、野良犬も野生動物も見かけなくなった。 野良猫もいづれいなくなるのだろうか? 鼻たらした野良ガキも見かけなくなった。 野良カラスも野良鳩も野良雀も野良ツバメもいなくなるのだろうか? 自然体の動物や子供や人間はみんないなくなるのだろうか? ……人間は自然の恩恵に預かっていることも人間そのものが自然である事にも気付かず自然や無垢を殺そうとします。まるで自殺行為です。 さて、自然をいっぱい殺して自分の都合のいい風景を手に入れたとしても、それは本当に美しい風景でしょうか? かたよった風景で、全体ではありません。 どこかに排除された都合の悪い風景は出現します。 失業者や浮浪者として身に降り掛かるのでしょうか? しかし、それまでも不快な野良だと差別され、大人のそんな偏った考えを浴びた子供らが汚いゴミとしていたぶり殺します。 そして野良人間もいなくなります。 目の前の風景がやっと都合良くなったように見えても私達の心の中に野良は住み着いています。 人は心の中の野良猫のさかりのついた奇声を、今度はどうやって殺すのだろう? この心の中の野良に苦しめられ自殺しようとする。 が、できず、他人に投影し殺人を犯し法によって殺される。 自分ひとり死ぬために多数を殺す死刑制度を利用した自殺です。 人を殺しても自分が死んでも都合のよい風景はできません。 なぜなら殺人や自殺は都合の悪い風景だからです。 ほんとの活き活きした風景・世界とは、ひとりひとり自らの自然を知る事です。 |