もりわじん絵日記 2007. 4
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4月25日 (水)  [1922] ザグリ2

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 FINE
作品に「誕生日」が記されているから、人の目、意識はそこにいく。今までの作品はかわいいとか手が込んでるとかアイデアがいいとか面白いとかそういう所にお客さんの意識を向かわせていた。というよりお客さんが持っている好みに合わせていた。大衆迎合だね。多少はそういうのも必要だが、何かがしっくりいかない。欠点がある。かわいいとか手が込んでいる以外の作品が差別されて無駄な作品となってしまうのだ。作る側としては同じ意識の作品なのに大衆の判断によって差別されてしまうわけだ。これは辛いことだ。やはり意識の先端を走るかりにも作家という職業である。大衆迎合ではなく人々を豊かなところへ導かなくてはならんだろう。例えば、子供の好みに合わせて親が料理を作っていてはダメだ。栄養が偏ってしまうだろう。親は子供を正しく導かないとね。生意気だがそれと同じことだ。


4月24日 (火)  [1921] ザグリ

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 FINE
ところで話しは戻って「コンセプトを手に入れることによって自由に作れる」。そう思っていたのだが「自由に作るためにコンセプトを見つける」みたい。何々の為なんてのは本来ないけど。それに自由に作れる者はわざわざコンセプトなどいらないけどね。しかし僕にとっては今んとこ後者が正しい感じだな。前者はコンセプト探しが主体になっていて、自由に作るというのが貧弱になりやすい。生活のために作品を作るみたいなものだ。確かに生活は大切だが、生活が安定しても世間ではわざと不安を煽り作品作りは食うためと作品作りの楽しさを閉じ込め好奇心や子供心を諦めてしまう。後者は、ただ自由に作ってもイイのだが、僕のような個性はそれでは生活ができないからコンセプトが必要ということ。マ、こんなことはどうでもよくって、僕が発見したのはコンセプトの「誕生日」かと思っていたが、そうではないということだ。発見したのは自由に作るというもので、僕の技法では『ザグリ』というものであったのだ。ここが顛倒夢想・本末転倒だったってこと。ザグリというのはザクザクっと荒い感じですな。作らず構えず感性の思うがまま。猫のように自由に気ままに。そんな野性味。昔からザグリ味を身に付けたかったのだ。思い起こせば、今まで自由自在にいろんなものを作ってきたが、どうにもこうにもザグリだけは手に入らなかった。この味をつけたくて何度も試みたが、どっか作っている感じだったのだ。野性味を作ったらそれは野性味ではないだろう。コンセプトの「誕生日」ができて嬉しいのではなく「ザグリ」ができて嬉しいということなのだ。
つまり、「ザグリ」が本当のコンセプトなのだ。
たぶん誰にとっても‥


4月23日 (月)  [1920] 顛倒夢想

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 CLOUDY
かなり調子が戻ってきた感じ。さて、個展に向けての作品を作らねば。
この間、バンさんから今度の個展の「誕生日猫」の内容について聞かれ『吉日』の事について少し語った。作品が全てを語っているから今さら内容などイマイチしっくりいかないのだが、ま、多少の説明は必要だろう。しかし、改めて久しぶりに語ってみると、また新たな発見があった。というより、めちゃんこシンプルなことがわかったのだ。けっこう嬉しい。なんのことはない。「誕生日」というのはアート的なコンセプトとして作ったと思っていた。現代はアート的にそういう感じも必要なんだけど。ところがどっこい、ここでも顛倒夢想。ところでこの顛倒夢想というのは般若心経に出てくる言葉です。ほんにどこもかしこも顛倒夢想ですね。例えば「警察に捕まるから犯罪はしない」なんてのは顛倒夢想だね。「捕まらなければ犯罪をする」とか「切れ者の弁護士雇うから犯罪する」とか「自分は間違いないと屁理屈こねて悪さの言い訳をいう」「善人はバカを見るから法の網の目をくぐって悪さする」「良いことしてるのに報われないなどと思う」などなど。よくよく眺めるとひっくり返っているだろう。思考というのは大抵ひっくり返っているんだ。


4月22日 (日)  [1919] 洗濯

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 FINE
イヤ〜、まだ抗ウツ剤の後遺症が残っているわ。浅い眠りが続く。起きても、低血圧の人のようにダラ〜っと頭も身体も働かない。やだねぇ〜、こんなの。そういやウツは一日中こんな案配にみえる。あまりにハイで朝一番からヒップホップ踊るような体質も問題だが、これも問題だ。これがアヘン中毒で、ハイはコカイン中毒みたいなものだろう。真っ当な中道にある清々しさを忘れているね。
このままではいけないと、洗濯掃除を始める。ベランダに出て洗濯物を掛けてゆく。
‥清々しいの〜〜う‥
洗濯をすると精神も洗濯される。これが中道の清々しさの極意なり。
洗濯は外国を旅していて身についたもの。同じ所に長居しないで2〜3日後には移動する感じの旅だった。新しい宿に着き晴れていれば必ず洗濯をしていた。ず〜っと旅をしているという気持ちよりも、洗濯することによって今までの垢を落しここに住居を構えるぐらいの新鮮な気持ちになれるのだろう。マ、精神的に安心するんだろう。猫が新しい所にいくと点検しその後で安心して身体を舐めるようなものと似てるね。


4月21日 (土)  [1918] とんちんかん

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 FINE
昨日はやっとの思いで家に帰る。未だに眠くて眠くてしょうがない。浅い眠りが永遠と続いているような、だら〜〜〜っと、よだれ垂らしているような、なにもかもどうでもいいような、一日何も食う気がしない。どんなことがあっても食欲だけはちゃんとあるのだが、ない。こりゃ、アヘン中毒だね。テレビを見たら、カーペンターズのことをやっていた。拒食症、そんなのが原因で若くして死んだらしい。拒食症か、ハングリー精神とは違うまったくとんちんかんなものだ。昨日は昨日で清々しい身体に抗ウツ剤だし、世の中、一切顛倒夢想とはこのことだ。ア〜アホらし、とんちんかん。


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