4月10日 (火) [1907] つぼみ
FINE ちゃんと仕事しよう、とか言いながら、昨日はチョットだけと庭出て剪定した木やクルミの殻、木っ端などを燃す。いいね、煙りが青空に向かってゆく。火を見てると時間を忘れる。なんとも心地いい朝だ。 おォォ!なんと青空に映えてフジの花のつぼみ。3つも。嬉しい。フジは移植を嫌うと云われ、移植して20年も花が咲かないという事だってあるらしい。それなのに一応根を傷つけないようには用心しながらだが、数年前移植してしまった。やや根を切ったような‥。それから花は咲いてない。20年か〜、葉だけでも楽しもうと半分諦めていた。 それが、それが、ちゃんと花のつぼみがある。うれしい〜〜〜ガォ〜〜
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4月9日 (月) [1906] 足と手
FINE いや〜まいったな。痒くて痒くてたまらん。ぐっすり眠って一晩過ぎれば少しぐらい腫れがひくかと思ったら、全然。 足「掻いて欲しい」 手「掻いてあげたい」 足「むしゃくしゃに掻きむしって〜、お願い〜、どうにでもして〜」 手「できない。でもそっと触るだけなら」 足「あ〜もっと、もっと強く、あ〜」 手「これ以上はいけない。一線を越えてはいけない」 足「いけない。あ〜いけない。でも、もっと、もっと、おぁぉぁ〜〜〜」 手「あ〜、もどかしい。ダメだ、もうよそう、こんな事は」 足「あ"〜、やめないで〜」 掻きむしりたい、もう掻いてはダメだの2つの中道を時は過ぎてゆく。 いつまでも、どこまでも‥
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4月8日 (日) [1905] 虫刺され
FINE 剪定をなんとなく始めるとそのまま一仕事になってしまう。と、昨日話した。なんとなく始めるものだから服装などは普段のままだ。裸足にスリッパ、手袋もしない。それでこの間、指を蜂に刺され、その二日後に右の二の腕を何かにやられ腫れた。そして昨日やはり何かにやられたらしい。痛いというのがないから蜂ではないだろう。ちょいと痒いからたいしたことのない蚊の部類だろうと高を括っていた。ところが、今朝目が覚めて見たら右足くるぶしあたりが腫れている。めちゃくちゃ痒い。パンパンに腫れている。昼には足首が曲がらなくなってきた。歩くと痛い。3ケ所射された痕がある。夜には足の指も腫れ、足首を越えて脹ら脛の下部まで全体的にブヨ〜ンとデブの足のようになった。なんじゃ、これは?あっ!ブヨかぁ〜!ブヨという言葉が引き金になったのか、目の前には子供の頃の田舎の田んぼの風景が広がった。ア〜、ここで初めてブヨに刺されたのだろうか?懐かしい感覚が心の中一杯になった。そういえば聞香盃を飲んだ時も田舎の秋の田んぼの風景に飛んでいった。こういう自然の風景に飛んでいくのは気持ちいい。関係ないが、どうせ人は死ぬ、なら人間の作った戦争や事件や事故や精神病や癌などで死ぬよりは、虫刺されだけど田んぼの風景などの自然に包まれて死ぬ方が幸せのような気がする‥
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4月7日 (土) [1904] 剪定
FINE こぶしを剪定する。ついでにユキヤナギも剪定する。ついでに塀の下に適当に植えたツツジなどを風通しをよくするために剪定する。そうこうするうちに午前を全部潰して一仕事になってしまった。この季節いつもの事だ。すっかりスッキリした庭で昼食をとる。
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4月6日 (金) [1903] 天気予報
FINE 花見で気付いた事がある。天気予報はいつもはそんなに気にならない。しかし花見の時期になると2週間も前から天気予報は心まで左右する。旅行やデートなんかも天気に左右される。でも、天気によってせっかくの計画がダメになってつまらないかというとそうでもなく、ハプニングなどが起こってデートでは愛が深まったり、より面白い思い出の一日になったりする。何が起こるかわからないから面白い。未知なるものだ。 天気というのは人間がそう簡単に予想できるものでない。なんでもない日常のものなのに大の科学が血眼になっても明日の予想すらできない。あの大空を超えて宇宙にいく時代といっても目の前の空がわかっていない。宇宙といってもちょっと先だけどね。海でいうなら子供がパチャパチャしてるそのあたり。この天気は人の生活態度で、例えば環境に対する横柄さによって気象異常など些細な事以上の天変地異をもたらす。昔、雨乞いや祈雨というのがあった。田畑には雨が必要だ。だから雨水を貯える森が大事だった。これで森も平野も潤っていたわけだ。 雨乞いにしろ天気予報にしろ人間は大昔から現在まであいもかわらず大空に左右されてるわけで、何も変わってない。過去はよく理解できるようになったが、だれも明日はまるでわからないのだ。 いつだって一寸先はわからないから闇であり、何が起こるかわからないから光なんだろう。
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