4月24日 (火)  [1921] ザグリ

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 FINE
ところで話しは戻って「コンセプトを手に入れることによって自由に作れる」。そう思っていたのだが「自由に作るためにコンセプトを見つける」みたい。何々の為なんてのは本来ないけど。それに自由に作れる者はわざわざコンセプトなどいらないけどね。しかし僕にとっては今んとこ後者が正しい感じだな。前者はコンセプト探しが主体になっていて、自由に作るというのが貧弱になりやすい。生活のために作品を作るみたいなものだ。確かに生活は大切だが、生活が安定しても世間ではわざと不安を煽り作品作りは食うためと作品作りの楽しさを閉じ込め好奇心や子供心を諦めてしまう。後者は、ただ自由に作ってもイイのだが、僕のような個性はそれでは生活ができないからコンセプトが必要ということ。マ、こんなことはどうでもよくって、僕が発見したのはコンセプトの「誕生日」かと思っていたが、そうではないということだ。発見したのは自由に作るというもので、僕の技法では『ザグリ』というものであったのだ。ここが顛倒夢想・本末転倒だったってこと。ザグリというのはザクザクっと荒い感じですな。作らず構えず感性の思うがまま。猫のように自由に気ままに。そんな野性味。昔からザグリ味を身に付けたかったのだ。思い起こせば、今まで自由自在にいろんなものを作ってきたが、どうにもこうにもザグリだけは手に入らなかった。この味をつけたくて何度も試みたが、どっか作っている感じだったのだ。野性味を作ったらそれは野性味ではないだろう。コンセプトの「誕生日」ができて嬉しいのではなく「ザグリ」ができて嬉しいということなのだ。
つまり、「ザグリ」が本当のコンセプトなのだ。
たぶん誰にとっても‥