もりわじん絵日記 2008. 1
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1月11日 (金)  [2170] 森へ8

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腹立たしい隣のじいさん、どうしたものか、と、しばし考えた。
うんこ投げつけてやろう、孫のちんちん噛みついてやろう、奥さんのマンコに土入れてやろうとかいろいろ考えたが、どれもアホらし。
なぜか下ネタ。
なんでワシが、こんなくそジジィの為に心振り回されつまらん思考を巡らせなきゃならんのだ。
しかし、ここで思ったのだが、じいさんに直接お返しするんではなく家族にした方が効果があると思った事だ。
近頃、家庭内暴力・親殺しの事件が目立つ。
これは、個人主義の弊害で家族愛が無くなってきたから、その反発として家族愛を求めて起こってしまうのではなかろうか。
なにかの統計で、確か欧米で、一番安心できるのは家族だという。
あの個人主義の国々が我欲や快楽よりも心の平安を求めているのだろう。
じいさん、家族愛があるならこんな事件を起こしてはいけないよ。
家族が狙われるんだよ。
なのにやってしまうわけだから、家族の事を考えてない自分勝手な老人という事になる。
バカだなぁ、ほんと情けない。



1月10日 (木)  [2169] 森へ7

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そういや、こんなじいさん、ワシが子供の頃けっこういたな。
いつも怒っていて子供が容易に近づけない頑固ジジィだ。
近所にいたわ。
つるっぱげのじいさんが。
妖怪かなんかと思っていた。
カブトムシの幼虫がいるという製材所にもいた。
こっちのじいさんは怒って追いかけてくる。
これも妖怪だと思っていた。
他の子供達はカブトムシ欲しさに危険を冒して近づいていたが、基本的自閉症のワシは一度行って眺め後は引き蘢って自分の中にいた。
秋の田んぼでボール遊びをしているとカマ持って振り回してくる狂った兄さんもいた。
一日中歯を磨いている振りをしている兄ちゃんや、通学途中に現れて裸を見せる姉ちゃんもいた。
よくよく考えりゃ、ほとんどみんな妖怪だった。
今も変わりないのだろうな。



1月9日 (水)  [2168] 森へ6

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この間こんな事件が起きた。
昼過ぎ庭を見ながらお茶してたら、バラバラバラ…と空から石ころが降ってきた。
隣のじいさんが枯れ葉と一緒に履いた砂利を塀越しにうちの庭に投げ捨てたのだ。
おいおいじいさん、なんてことするんだ。
石が入っているではないか。
ワシャ、庭で作品を乾かしたりする。
それが壊れたら大変ではないか。
なかったからよかったものの。
壊れたりしたら弁償問題で、じいさん金払わなきゃならんだろう。
子供も孫もいるいい大人が、アホや。
困ったものだ。
ガラス戸まで飛んで来てるからガラス割れたりしても大変なことだ。
その枯れ葉がうちのカエデの葉という事であまりに量が多いので腹立ったのだろう。
枯れ葉ぐらいで、金玉の小せいやつだな。
けつの穴もちいせぃ、あ〜ちっちゃいちっちゃい。
するとまた投げてきた。
こりゃあ故意だわ。
どうしたもんか、腹の立つ…



1月8日 (火)  [2167] 森へ5

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『誕生日13』(2007/5/22)でこんな事を書いた。
「うちの庭はどれもまだ小さいが、巨木だらけだ。
桜、しだれ桜、寒山桜、イチョウ、ケヤキ、カエデ、モクレン、黄モクレン、白樺、ヒメシャラ、キャラ。
将来はこれらの木に家も僕も食われてしまうだろう。
これで、本当の「森」になれる。
森の誕生だ」
ほらほら、やっぱり森だ。
でも、ここはもういっぱいだ。
108本植えるには狭すぎる。



1月7日 (月)  [2166] 森へ4

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そういや『自我の境地75』(2007/11/27)でこんな事を書いたな。
「「木を見て森を見ず」
という言葉がある。
木は森の部分だ。
部分だけを見て全体を見ないという事だ。
木村さんも木下君も木堂君も大木ちゃんも部分だ。
林さんは、惜しいね。
私は森だ。
私は全体だ。
私は私自身をよく観る」
なんてね。
ほら、やっぱり心は森に向かっている。



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