1月29日 (火)  [2188] 森へ26 旅2

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で、この文章の現代訳を眺めてみる。

月日は永遠に旅を続ける旅人であり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。
船頭として船の上に生涯を浮かべ、馬子として馬のくつわを引いて老いを迎える者は毎日旅をして旅をすみかとしている。
古人の中には旅の途中で命を無くした風流人が多くいる。
私もいつの年からかちぎれ雲が風に吹かれて漂うように誘惑されて、旅に出て歩きたい気持ちが我慢できず、海や浜辺をさすらい、去年の秋、隅田川の畔を破れ小屋において蜘蛛の巣を取り払って暮らしているうちに、次第にその年も暮れ、春になり霞が立ち込める空を見るにつけても、あの名高い白河の関を越えようと、人の心をそわそわさせる神が取り付いて私の心を狂わせ、道祖神が招くような気がして取るものも手につかない。
旅行着の破れ目を直し笠の紐を付け替えて足に灸をすえると、あの有名な松島の月の美しさが真っ先に気にかかって、住んでいる家は他人に売却し、杉風の別宅に引越しする時に句を詠んだ。
「私の住んでいた草庵も住み替わる時が来た。季節も雛祭りの時期、今度は雛人形を飾るような華やかな家になるだろう」
この句を発句とする連句の初めの8句を草庵の柱に掛けておく。

なるほど。
そういう事なのか。
僕は猫神様に招かれて森へと行こうとしているのだろう。か?