1月30日 (水)  [2189] 森へ27 旅3

20080130-1.jpg

松尾芭蕉の東北の旅のきっかけとは?
ちょっと調べてみました。

松尾芭蕉は下級武士の出身だったが主君に俳諧の道でその才能を認められた。
しかしそれは長く続かなかった。
主君が急死してしまい、新しい主君は全く俳諧に興味は無かった。
芭蕉の武士としての出世は諦めざるを得なかった。
芭蕉は俳諧に精を出し、談林派(だんりんは)全盛の当時、芭蕉も江戸に出て活躍し頭角を現しトップクラスに上り詰めた。
しかし又、その談林派も人々から飽きられ人気が低落、井原西鶴は小説の世界に活路を見出していったが、芭蕉はあくまでも俳諧の道を進もうとする。
俳諧の世界で成功するが弟子が増え収入も増えるが、弟子の指導などに時間を取られて自分自身を磨く時間が無くなってしまう。
40歳を過ぎてもう人生はそう長くは無いと感じれば感じるほど文学の世界に自分なりの俳諧を高めて歴史に残したい。
生活を文学化する為には『旅』が一番良い。
しかも、死を覚悟するような俗世界から遠ざかるようなぎりぎりの環境での旅が良い。自分を極限の世界に置くことにより理想とする、本当の俳諧の世界が見えてくるに違いない。
その為には、北の最果て『東北地方』が良いと考えた。
その昔いわば異国の地の様なその地は、西行などが旅をし、しかも伝説や歌枕、風光明媚な地が沢山あり、万が一にも旅の途中で死んでも悔いは無い。
むしろ誇りとなろう。
松尾芭蕉、46歳。同行者、河合曾良、41歳。
東北の旅は終わり、次の旅の途中大阪にて没、51歳。