6月15日 (火) [894] 災い
天気よし。 昨日ウィスキーと一緒に15年熟成の琥珀色の焼酎も手に入れた。 ストレート、ロック、水割りがいいと書いてあるからウィスキー気分を焼酎で味わうわけだが、ワシは紀州のでかい柔らかい梅を入れ焼酎を入れ焼酎よりちょっと多めのお湯を加え、梅をぐちゃぐちゃに潰して飲むのが好き。 もしかして、うまい梅とうまい熟成焼酎を入れぐちゃぐちゃして漉したものを作って燗にして飲むものなるものを作ったらニュー酒の楽しみ方として大当たりするのではないだろうか? 聞香杯なるお茶の飲み方も台湾で新しく出てきたお茶道だし、ワシの梅ぐちゃだって新しい酒道。 ところで焼酎に梅というのはよくあるから解るが、このウィスキーではどうだろう? アルコール度数、味は違うが、似てない事もない。 試しに飲んでみる、、あら!これいけるわ。 って事はウォッカ、泡盛、テキーラ‥ もしかして、ワシ、梅が重要であって焼酎だろうがウィスキーだろうがウォッカだろうがアルコールが強けりゃなんでもいいのだったりして‥ しかし、またわけ解らんピーになるといけないから、程々にしよう。 こんなに天気がよく池の白いスイレンが見事‥なのに、今日は人間関係の問題を投げかけられてしまい、埒明かず心地良からず。 つまらんねぇ〜でも面白い言葉知っちゃった。 『口は災いの元』と『人の口に戸は立てられぬ』の二つ。 なるほどね、口は災いの元なのに、その口をふさぐ戸がないわけだ。 これではしゃべればしゃべるほど、災いは増える一方という事になる。 どんどん泥沼化してゆく。 たぶん、人は、私は間違った事は言ってない、と言い張るところに問題がある。 口を開いてなんか言ったら災いなんだから、間違ってないと言う事自体がおかしいんではないだろうか? 災いばらまいておいて‥それって偽善だよ、もしくは悪。
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6月14日 (月) [893] ウィスキー
晴れ〜イイ天気。 この季節、タケノコがボコボコ出てきてあっという間に伸びる。 去年、ラッキーと思い食ってみたが食えないタケノコ。 食用のは違った竹の種類みたい。 こんなにボコボコ出てもなんともしょうがないので、庭に似合うのだけ残し全部抜く。 石やブロックを押し上げて出てきてたり猫用ネットにはまり込んでたりすごいモンダ。 今まであった竹も新旧入れ替えのため切る。 切った竹の笹を腕にかすり傷つけながらナタでとり、紐で縛って反らないようにする。 去年切った竹は色も失せ、畑の野菜や植物の支えとして使う。 この竹は食用にはならないが、竹を切るという仕事は食に繋がる、ってのが美しい。 普通の仕事は、途中にお金なるものに変わり、その後食などに変換してゆく。 お金というものは、仕事や食より後にやってきて幻だったはずの所に収まっただけなのに重要視されるようになってしまった。 幻を重要視するのは、幽霊を重要視してしまい現実に怯え震え暮らすようなもの‥ さて、金持って食の買い出し行かねば。 今日はおもしろ半分でウィスキーを買ってみた。 ウィスキーなどは、20歳前後の頃、わけも解らずカッコウつけて飲んで吐いた記憶しかないので、匂いを嗅いだだけで気分悪く普段飲む気になれない。 しかし、そろそろその記憶もどうでもいいものになり大丈夫だろう、新たな心地よい発見があるのでは‥と、、 ‥夜、サウナを出て、ガウンを着て、書斎に入る。 右手にウィスキーのロックを、左手に画集を持ち、たまに夜景を眺める。 膝の上には猫がいる‥びっくりまなこのイゴだけど‥
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6月13日 (日) [892] 異空間へ
くもり。 朝風呂入っていて、ふと気付いたのだが、風呂に入る時は右足から入り、出る時は左足からだ。 湯風呂の位置が、そのように入った方がやり易いというのもあるが、水風呂はどっちの足が先だろうが後だろうが関係ない。 湯風呂の位置の癖といえば癖なのだが‥ ジャンプする時、自分は左足で地面を蹴るから、どこか普段とは違った異空間に身体が移動する時は左の足が地に付いていた方がバランスとれ易いというのはある。 だから水の中という異空間に行く時も、やはり危険もあるだろうから不安を持っている、その心のバランスも含め身体のバランスをとるため、しっかり左足を地に置き右足から入る。 逆に風呂から出る時は、もとの空間に戻るという安心感があるのでバランスは気にしなくなる。 それと、異空間に行く時に右足から入ったから出る時は反対にやらないとスッキリしない、ってのもある。 生まれる前にいた異空間の時間とこれから死んで元の異空間に戻ってしまう時間から比べると生きている時間などほんの僅か。 もしかしたらこの不安がいっぱいのここが異空間であって、記憶にないまったく無の空間あの世が元の世界だとしたら、あの世にしっかり左足を置いて右足からこの世に入ってきたのだろう‥といったって、生まれたのは頭からだから、右足を司る左脳からかな? という事は死ぬ時、バランスも気にせずなんも気にせず安心いっぱいで反対の右脳・左足から逝くのだろうか? ‥そういや右脳は感覚を司るからあの世的っていえばあの世っぽいな‥ 今、この左足の膝が痛いのは、少しずつ安心のあの世に近づいているのだろうか‥え"〜
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6月12日 (土) [891] 梅雨空のせい
晴れ。 この梅雨空のせいかしら? 友達が、梅雨は一年で一番落ち込むと言っていたけどちょっと解る気がする。 左膝と奥歯がいたむ。 奥歯の痛みなどは、メシもワインもまずくする、んなもんで、消化が悪い。 そのせいでか知らんがお腹の調子も悪い‥まったく。 朝、キッチンテーブルの天板を作る。 多少の歪みが出たけど、まあまあ宜しい。 あとは、足や棚などを作り、この天板をのせ、いろいろ。 ところで、この天板完璧にできあがるつもりでいて歪みなどが出るなんて微塵も思っていなかったから、可笑しい。 歪みが出た時、アッ!そうだ、とハッと自分の腕の未熟さを思い出した。 歪みが出て当り前の腕なのに‥ なんで?忘れていたんだろう?‥プロの指物師でもあるまいし。 覚えていたら、途中で歪みを検討しながら修正出来たんだけどね。 ほんと、可笑しいわ。 なんでもそうだが、頭で思い込んでる自分って、多少過大評価しているか過小評価しているかで、いつだって妥当ではない…妥当であったら自己評価はない。 過大評価している時は、結果が不満となる。 不満だからと満足ゆくまで無理強いしたりすれば戦争となり、多くの人が死に憎しみを作る。 過小評価している時は、始めっから不満だから結果が発育不全になってしまう。 どんどん落ち込み、殻に閉じこもり、淀み、人でなくなる。 頭は一歩引いて身体に調子を聞いてみるがいい。 妥当は身体が知っている。 確かに、今日はお腹の調子が悪い。 チャイも目の調子が悪い。 とりあえず、寝よう、チャイ。
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6月11日 (金) [890] 床屋さんの猫
雨。 子猫がピーピー、何度も起こされ、少々寝不足。 昨日、絵日記に空腹感は空・福・観とか書いたから、ふと、では満腹感は満・福・観? でもこの場合は満福・観という感じになるね。 まあ、これは言葉遊びだから、なんて事はないんだけど、ちょいと観察してみる。 これら二つの違いは「空」と「満」の部分。 車で彼女と映画を見に出かけ、駐車場に入ろうとしたら「満車」じゃつまらない、「空車」なら嬉しい。 映画館に入って「満席」ならつまらない、「空席」なら楽だ。 帰りにホテルに寄ろうとしたら「満室」じゃァ、ほんとにつまらん、「空室」ならうきうきワクワクドキドキもの。 いざ、彼女とHしようとしたら彼氏がいて「満たされてます」じゃつまらない、「空いてるわよ」で気持ちがいい。 なんのこっちゃ‥ 昨日もマエノッチが谷中に置いていた作品やでかいガラスケースなどを持ってきたけど、うちに空いているスペースがあるから荷物を置ける。 これがスペースもなく満杯だったら、置けないだけでなく、新たな作品を作る気力も落ちてしまうだろう。 「空」というのは、心に多少の余裕がある楽しいワクワク生活って感じがする。 逆に「満」は物質的には満たされているがあんまし心に余裕のないつまらん生活って感じかな‥ 今日は嬉しい。 床屋さんに作品を頼まれていたのだが、床屋など何十年といったことのない髪のない頭ゆえ、何をどうしていいかわからん。 でも、なんとかして頭抜けたものを作ってやろうと毛のない頭で考えて、床屋さんの申し出の予算をかなりめちゃくちゃオーバーしたが、気に入ったイイ作品ができた。 予算オーバーだからダメかなと思って諦めていたのに、思いの他すごい気にいられてしまった、アハハハハハ‥諦めというのも「空」みたいなもんだね。
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