6月10日 (木)  [889] 空・福・観

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くもり。
昼飯食ってたら途中でやや腹一杯になってきた。
まだ、目の前には、美味しそうな松の実の入ったトマトサラダにヨーグルトがある。
このまま庭の花を眺めたりメダカにエサやったりしてのんびり構えているとますますお腹がいっぱいになってきて、このサラダが食べたくなくなってしまう。
そうなる前に快楽求めサラダをガツガツ食べる‥アホやと思いながら。
ア〜腹一杯だ〜‥少々つまらなくなってしまった。
お腹がいっぱいになると、あの腹へっていて、パンだ、サラダだ、ヨーグルトだ、今から食べられるんだ、ワーイ、ワーイ、嬉しいな〜という思いがなくなってしまうばかりでなく、そんな空腹感こそが心地よいものであるということに気付かなくなってしまう。
つまり、空腹感が前提にあるから食べることが嬉しいのである。
今、このように自分に言い聞かしているのは、いつも忘れてしまい気付きづらくなってしまうあの心地よい空腹感が大切だということを心身で覚えておきたいからだ。
心身でしっかり覚えていれば、空腹や足りない・少ない・乏しいという社会でいうマイナスのイメージが、本当はどれだけ喜びの前提になっていて、すばらしいか美しいか大切か。
それを知り、多くを求めない精神が育まれると本当の福に包まれるのではないだろうか‥
…空腹感とは空・福・観である‥…
と、こんな感じでうまいところに到達したみたいで、心地よいせいか、今日の粘土いじりはとてもすがすがしい感じがでていていいわ。