もりわじん絵日記 2001. 12
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12月31日 (月)  [90] 新しい

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2002年1月1日快晴
新年あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
31日はのんびりと時間が流れた。
そして新年。
初風呂を青空を見ながら入る。
福の素を読んで倶楽部オリジナルの招き猫について考えてみる。
そんなに数がないので、一個一個、手びねりにすることにする。
…笛や太鼓の音が聞こえる。
金銭が消える。
猫が外でないている。
名を残す、が消える。
頂きますという声が聞こえる。
作品を残す、が消える。
日射しが暖かい。
太いの、細いの、神秘なの、古いの、おかしいの、珍しいの‥などのイメージが消える。
3本の手が、頭をよぎる‥‥‥
これで十分。
とってもいい作品ができそうです。
まあ、粘土いじりは正月あけだけどね。
……新しいのを生むのは自然の力です。
人が新しいものを作る時、そこに働くのが意志と思考です。
意志と思考は、過去の知識でできているので、古いものです。
新しい考えなどというものはないのです。
もちろん古いものに縛られてはいけません。
これらを知る時、新たな風が向こうから吹いてきます。
自然は何もせずとも生成変化します。


12月30日 (日)  [89] 月の砂漠

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12月30日晴れ
今年もあとわずか。おそうじおそうじ。
風呂に付け置きしておいたブラインドを洗う。
疲れたので、仕事テーブルの上の道具を片付け、その上で寝る。
この場所は陽がサンサンとあたるのだ。
うたた寝は、本当に心地いい。
大昔、冷血動物だった頃への反逆だろうか、陽にあたると眠くなる。
そんな時、ベッドに入ったり、ふとんなんかしいちゃうと眠れない。
適当に陽のあたるところで猫のように止まっちゃう。
起きてから、またブラインド洗いをし、夕方やり残した絵付けをする。
これで、正月は、まったく何も考えなくてすむ。
夜、月がとってもきれいなので、真っ暗にして風呂に入る。
月の砂漠の歌を歌いながら、途中、歌詞が解らなくなり、適当に歌ってたら、メロディも解らなくなり、なんとなくフランス語みたいになり、シャンソンもどきになり、窓をみたら月がガラスについた水滴で揺れ、歌はペちゃぐちゃタラタラべチョべチョと湿気が出てきて、砂漠はオアシスとなり、肥沃な大地に変わり、草が生え、木が茂り、ジャングルとなり、濡れた森のまん中にできた湖に天から龍が落ち、水はあふれ、うねり、べチョべチョ、バシャーン、クネックネッ、あーん‥‥
あ−もう歌えません。
とってもスケベなんです。
いつか、満月がポッカリ出て、みんなでお風呂にでも入った時、歌ってあげます。
月の砂漠がしっとり濡れるまで‥


12月29日 (土)  [88] ツインビル

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12月29日晴れ
アトリエから外に出た。
陽が眩しく、目の前の高いビルを照らしていた。
ふと、この間のニューヨークのツインビルに飛行機が突っ込んだ風景と重なった。
とんでもない、あまりにも悲しく嘆かわしい事件だ。
あのツインビルは、僕がニューヨークで展覧会した時、よくいった所だ。
15年ぐらい前の事、世話になった事務所がこのビルにあり、何階だったか忘れたが、窓から外を見るとニューヨーク中が見渡せ、島を挟んだ川が小さく見え、風が吹くとビルが揺れてめまいがした。
かなり上の階であったと思う。
日本にいる両親から電話があるというので、急いでツインビルにいき、何時にくるという電話を待った。
何が起こったのか心配だった。
父からだった。
時差があるから、とても話しずらい。
父はいう「さくらんぼとりに帰ってこい」
何を言っているのだろう?
僕はいらだち
「おれは今ここで一世一代の展覧会をしているのだ。おれが月にいても呼ぶのかアー」
と言っても時差が邪魔してよく通じない。
父「アホ、オマエがさくらんぼとらんで誰がとる。早く帰ってこい」
ガチャン、ツーーーー
ビルは崩れた。
ア〜
猫に右利きとか、左利きとかは、あるのですか?


12月28日 (金)  [87] 安定

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12月28日晴れ
街は年末の興奮の人々であふれていた。
奇抜な女。裸踊りの男。術後のおやじ。胃痛で眠い女。ふられて切れてる女。泣き崩れる女。女あさり。叫ぶ者。怒る者。腰をふる女。笑い上戸の女。‥‥‥‥
そんな中で興味を持ったのが、学歴社会でがんじがらめの家庭で育った鬱で精神科に通う、色白のラリる24歳の若者。
……安定とは、すぐにも壊れるもろいものです。
安定を求めようとし、守ろうとし、壁や囲いを作ります。
その中で、人は、その安定らしきを信じ、壊れないことを祈ります。
安定を求めるのは、不安定という因子です。
不安定から出発した夢、未来、理想、目的、達成は、すぐにも壊れる疑似安定しか得られません。
不安定から安定への思考、これを時間といいます。
時間は人を縛ります。
……親や医者に甘えているのです。
社会に甘えているのです。
他人に頼っているのです。
彼等は君に一時しのぎの安定剤を与えるが、それと一緒に不安定も与えているのです。
君自身が他人に縛られようとしているのではないだろうか?
頼ることも頼られることも愛ではありません。


12月27日 (木)  [86] フェロモン

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12月27日まあ晴れ
彼氏探しのお姉ちゃんたちがこんな事をいっていた。
「ねえ、フェロモンのだし方知ってる?あのね、陰毛を引っ張って刺激を与えるの。するとね、毛根からフェロモンが出るのよ。そいで、街に出ると、男子が寄ってくる。でも、陰毛引っ張った後、洗ったりすると流れちゃうから、お風呂では洗った後、また引っ張ンなきゃね。知ってた?」
 そうなんすか。
女子がスカートをはくのはフェロモンをまき散らすためだったのか。
じゃあジーパンとかはダメだね。
へそ出すのもそうなのか。
下着なんかもレースとか、なるべく薄いのとか、小さいのが良いわけだ。
そいでか、ミニがいいのは。
ふんふん、という事は、あんな事も、こんな事も、フェ、フェロモンまき散らしだったのかア。
フムフム、女子高の教師は、フェロモン浴び過ぎちゃって、溺れて、性犯罪おかしたくなるのかも。
男と女分けたらいかんね。
……人々にとって、快楽は非常に重大事になっています。
生きる事が、快楽に支配されています。
知識や常識を詰め込む教育は、反動として、快楽が重要な目的となってしまいました。
人間は、探究心を失うと知恵が働なくなり、自由を身勝手な快楽追求とし、愛を快楽や愛欲と決めつけます。
快楽に真の喜びはありません。
なぜなら、快楽と苦痛はひとつのものの表と裏で、快楽を手に入れるという事は、苦痛も一緒に手に入れる事だからです。
苦痛だから快楽を求めるのです。
嫌いだから好きを求めるのです。
気持ち悪いから気持ちいいを求めるのです。
つまり、快楽は苦痛を基盤にしているのです。
真の喜びは、快楽とはまったく違うものです。
快楽は、記憶や経験でつちかわれたものですから、部分なのです。
真の喜びは全体です。


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