もりわじん絵日記 2001. 12
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12月11日 (火)  [70] 全体感

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12月11日晴れAM8時2℃
今日はろくろ用の棚や作品を乾かす棚などの配置をきめ、あれをあっちやったりこれをこっちやったり、ああでもないこうでもないと、いろいろ動かしながら、決めた。その後電ノコで作品を置く板を切り、出来上がり。
なかなかよかと。
これで心置きなく作品づくりに励める。
もう全体的にバッチシコンだもんね。
……部分は決して全体になることはありません。
部分は、幸福になろうと、全体感を味わおうと、いろいろ考えましょう。
しかし部分は、未だかつて味わったことのない未知の豊かさを手にすることはありません。
たとえいくら知識があっても、経験を積んでも、記憶がよくても、裕福でも、有名でも、才能あってもそれらは自分に都合のいいだけの部分です。
決して部分は全体にはなりえず、違った部分に成り変わるだけです。
その部分もまた不満となり、全体を求めることとなるでしょう。
ところでなぜ全体感や幸福になりたがるのでしょうか?
全体である幸福とは、不満な自己が求める自己改善です。
不満が求めるものはどうやっても不満の一部ではないでしょうか?
バカはりこうにはなれません。
りこうになろうとするのは、バカだからではないでしょうか?
バカがなろうとしているのは違ったバカです。
りこうとは、なぜか甘く美しく華やかなもののように描かれてますが、バカが夢見たただの幻なのです。
りこうがうそ偽りであると解った時、バカも消えます。
りこうがなければバカもありませんから。
その時、部分は消え、全体に包まれるのです。
幻ではなく本当の華やかさに包まれるのです。
赤子が母に抱かれるように…これが福です。
これは記憶にはなりません。
記憶はバカな部分だからです。


12月10日 (月)  [69] 道猫

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12月10日晴れ4℃
昨日は水のせい(精)で寝不足で生あくびと寒気がする。
水道屋さんに来てもらったが、あいつは水を汚したりしないから異常はないとの事。問題は給湯器にあるらしい。
今日は作品作っていて、とても嬉しかった。
10年ぐらい前に作った『道猫』という作品が気になり、じっくり眺めてみた。
今作っている粘土を少しずついじりながら、道猫を作ってゆくプロセスをイメージして照らし合わせてみた。
違うなあ、どっか違うぞ。
何度も何度も粘土をいじり、はっ!ッとした。
自分の知らない癖が解った。
知らないうちに、知らない癖がついて、作品の本質を微妙にずらしていたのだ。
パッと見れば分って当然の癖が全然見えなかったのだ。
いやいやこの癖が見つかって、ホントによかった。
それで今日は、見た目は今までとそれほど変わりないのに、とんでもなく心地よい作品ができた。
……慣れとは恐いものです。
いつもそれをしていたり、それと一緒になっているから、それがあることが当り前のようになってしまいます。
世界は1日足りとも戦争を止めたことがありません。
宇宙から見たら、いつも戦争していて醜い家にしてるのは、この地球家だけでしょう。
人はこれに慣れてしまい、どこかで戦争があるのが当り前になっています。
個人的な悪癖も社会的な犯罪も当り前になっています。
それがあるのが当然になっているのです。
傍目は平安に暮らしてる人も、内面は葛藤しています。
それが慣れになって見えなかったりしますが、いづれストレスとかになって出てきます。
私は大丈夫という人は、自惚れに慣れているのです。
このように、人は誰もが、葛藤という分裂に慣れて暮らしています。
だから、人は一体化するような愛を求めます。
人は間違った当り前に気付き、いつになったら本当の当り前を生きるのでしょうか?
それがアートです。


12月9日 (日)  [68] 水の精

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朝方早く、水の音で目をさます。
二階から降りてくると、階段のとこまで水が溢れている。
え?床上浸水?
一体どうしたんだ。
風呂場の水道から、水がジャージャー出てる音がする。
風呂場の扉が少し開いていて水が流れ出てる。
やばい、水を出しっ放しだ。
扉を急いで開けた。
なんだ!!こいつは誰だ?
大きさが2メートルはありそう、まるまる太っていて、水の固まりのようで透けてる感じ。
軽いんだろうか、水に浮いているようだ。
よく見ると排水口の穴に指を突っ込んでいる。
まったく、そんなことするから水が溢れるんだろうが。
こら!止めなさい。
そしたらこの者、驚いて振り向き、やばいと思ったのか、いきなり立ち上がり、ピチャ ピチャ タプン タップン タプタプ タップンと走り、玄関の戸を開け外へ逃げていった。
途中、道でパチンとはじけて、バシャ〜ンと消えた。
そういや今日の水道水はずいぶん濁っている。
どうしたんだろう?
あいつがなんかしたかな??


12月8日 (土)  [67] 聞香

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12月8日快晴
いつも耳栓して寝てて、癖なったらまずいんで、昨日ははずして寝た。
やはり猫がゴロゴロとうるさい。
2度ほど目が覚め、耳栓しようと思ったが、いやいや寝不足でもいいから今日は止めよう、と‥‥(-_-)zzz
なんか、ぐっすり寝たみたい。
そのせいか張り切って作品が作れた。
そういやこの頃は、世の中不景気らしい。
こんな時代が前にもあった。
その頃、銭湯入っていて気付いたことがあった。
いつもはそんなに長くはいらない人たちが、けっこう長湯をする。
世間では将来の不安や仕事がうまく運ばないいら立ちがはびこっているから、銭湯ではみんな無意識にのんびりムードを味わっているのだろう。
陽が出てるのに、背広を着た人もけっこういた。
そこで生まれたのが風呂入っている猫なんですなあ。
今もその頃のムードに近いんで、お茶でも勧めているような猫を作った。
「お茶しにおいで」って感じ。
そこで今日は、この間中華街で買ったウーロン茶のいい香りのするやつを、台湾の茶道、『聞香』(ぶんこう)で飲んでみた。
これは二つの器を使い、聞香杯で鼻からその茶の香りをめいいっぱい吸う。
鼻の頭が暖まり、なぜか田舎の稲刈り後の田んぼにいっちゃう。
その後田舎を飛び越え宇宙になっちゃうから不思議。
田舎や田んぼを知らない人でも大丈夫だから、なお不可思議。
よくぞ、こんな面白い気持ちのいいもんあみ出したものだ。
酒はメイテイするが、聞香はメイセキに酔わせる。
ネーミングもいい、「香りを聞く」だもの。
そうか!それでか、耳栓とったら、闇の香りが聞こえて、気持ちよく眠れたのかも。
みなさんも香りのいいウーロン茶の葉で、聞香試してみてね。
将来の不安が吹っ飛ぶかもよ。
ところで、中京TV1月5日放映に変更だって。


12月7日 (金)  [66] 北斎日射し

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12月7日雲が多いが晴れ
朝、ゴミを捨てにいって、上を見たら雲の切れ目から実に青々とした空が見えた。
天気が良くなりそうだ。
空の下、庭のもみじと錦木をチェンソーで剪定した。
その後、粘土いじりをしていたが、どうも空の青さが気になる。
こんな天気に露天風呂でも入れば‥‥あ〜(^。^)
夜の暗いうねうね山道は避けて、早めに出かけ早めに帰ることにした。
それから仕事をしようっと。
今日はちょっと遠くにいくことにする。
迷わずに着いた。
なかなかいい露天だ。
眺めがいい。
雲の切れ目からの日射しが美しい。
レンブラント光線というらしいが、日本の絵にはなかったのだろうか?
『北斎日射し』とかさ。
暗くなるのは早い、まだ5時なのにもう真っ暗。
家に着いて仕事しようとテーブルに構えたのだが、ダメだ。
からだがポッポして全然力がはいらん。
頭はボーッとするし、指先はモアモアして腫れぼったい。
目は眠た気だし、身体はだるいし、のどは乾くし、面白いほど、なんもしたくない。
湯当たり一歩手前って感じかな。
やめやめヤーメタ。
風呂はいってから仕事しようとしたらいかんね。
はよ寝よう、っと。


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