もりわじん絵日記 2002. 8
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8月16日 (金)  [285] バーベQ

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8月16日雷雨
昼頃シンガポール撮影隊がやってきた。
スカイパーフェクトTVアニマルプラネット、ディレクターは日本女性で、サブがいてカメラマンと音声がギャア人、まずは作品を撮影する。
けっこう時間をかけてしっかり撮っている。
そのあとインタビューを受ける。
ちゃんとイス・ライトが用意されカメラを向けられる。
自分の後ろには作品の『ここんとん』が置かれた。
こんなにきちんとセッティングして撮影されるのは初めてではないだろうか?
構えるからぎこちないかなと思ったが、これってけっこう楽だ。
ところが雷雨でなかなか始める事ができない。
少し空が静まった合間を見て、招き猫について質問を受けるのだが、ワシ、喋り始めるといろんな事が枝葉のように思い付き、ほんの小さな木も巨大な木となる。
あ〜けっこううまい事言ったなあ〜と自己満足していると、ディレクターさんに、あの〜半分ぐらいに短かめにもう一回お願いします、と言われ、また同じ事を語るのだが、思い出せない、いったい何をしゃべったっけ?
‥即興のジャズミュージシャンは、デタラメをもう一度できるという。
そんな感じで何度も同じような事?を言い、雷で時々中断されながらもインタビューは無事終了。
そういや、今までのテレビの撮影でほとんどカットされるわけが解ったような気がする。
ワシの話はどこまでも長いのだ。
だから編集するにしてもどこで切っていいか解らなくなり、え〜い、面倒だ、全部カット、という事になる‥テレビは時間でできているのだから。
それと笑ってといわれても笑えるわけがない。
子供の頃からハイ笑ってなどといわれると反抗するのが自然だった可愛げのない正直ガキだったから。
それでも一瞬なら何かを思い出して笑えるが、そのままず−っととなると、固まって引きつって変態犯罪者のような不適な笑みになりヘヘへ‥カットとなる。
ビデオ撮影とは大変なものだ。
でも、この長いしゃべりはワシの面白い癖と知って嬉しい。
たぶん作品もどこまでも今でもず−ッとしゃべるように続いているのだろう。
さっきの雨も上がり、夕方から野外バーベQを庭でやるためいろいろ準備、一人二人とやって来て十人ほど集まり盛り上がる。
みなさんワシの作品などあんまし知らないので、そこら中にある作品を見て感心してくれる、嬉しいもんです。
そのうち雨は大雨どしゃぶりとなり、竹のイスがでかいハックルさんの重みでひっくり返り壊れ、みんなびしょびしょになりながら、雷雨のバーベQは平気で夜中まで続いた‥みんなバカだね。


8月15日 (木)  [284] 立ちっぱなし

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8月15日晴れ
とてもぐっすり寝ました。
旅疲れはないが、少しだけ足がだるい。
個展では一日中立ちっぱなしだったもんなあ。
立ちっぱなしなんていうのは、今まで、やった事あるだろうか?
普段の個展だったら、たいていイスに座っているし、デパートなどではイスがなければそういつまでも会場にはいない。
生活だって、仕事はイスにこびり着いてるぐらい座りっぱなしだし、どこへいってもすぐ座る。
道端には座らないが、イスを持ち歩きたいぐらいイスあり好き。
電車でも開いている座席を探しては座る。
たまに年寄りに席を譲るが、年寄りでもほんとに倒れそうな年寄りぐらいで、わしは年寄りなんだ席譲れ、なんて顔の年寄りには、網棚か床に座れと言ってやりたいくらいだ。
ワシ、若い頃外国旅行で席などとれなかったので、網棚や床や人の座席の下によく寝たものだから‥
今回の個展も、そんな性格だから座るかと思いきや、店員さんにイスを勧められたが、立つ事に。
どうもこういうところでのイスは偉そうで好きでない。
でも、最近のウォーキングのおかげで、立ちっぱなしもぜんぜん苦でないし、かえって、お客さんと対等に向き合えるので、作品の感想が一目で察知できていい。
今日は、まじに来る福に向けて粘土いじりする。
まずはウォーミングアップでいつもの正座をして右手を上げている定番をいじってみる。
いまいちスムーズでない。
2週間ぐらい絵付けと個展の旅で粘土から手が離れていたから、一作目はぎこちない。
そのぎこちなさを補うために、手を一本よけいにつけてみる。
あら!なかなかいいジャン。
こんなシンプルなのに、この感じは新鮮だったので、今日はいけると感じた。
だんだん調子づいてうまくいきました。
この調子で来る福に向かわネバーギブアップ。
明日はここに引っ越してきて知り会った近くの変な人達を呼んで、よろしくとバーベキューパーティーを庭で開くので、買い物に。
こんなにいっぱい飲み物や食い物を買ったのはほんとひさしぶりだ。
明日は晴れるといいな。


8月12日 (月)  [283] 倉敷三越

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8月12日晴れ
新幹線の待ち合い室は人でごった返していた。
とにかく子供が多く、猫も犬も宇宙人も幽霊もいる。
こんなに大勢の生き物を見たのは‥最近では庭のアブラムシかな?
これが帰省ラッシュというものか。
座るところもなく退屈なのでホームの端から端を歩いてみた‥片道500歩ぐらい。
倉敷につき、まずはサブさんとお茶をのみ、そこヘヤセ子がやってきて、あいも変わらず自己主張で騒ぐ。
離婚、家追い出し‥といろいろあったみたい。
まあ、ヤセ子に出会ってこうして個展ができるわけだから、精一杯楽しい作品見せるしかないっすね。
しかし、ヤセ子、何をやっても言ってもすべて空回りだ。
親兄弟が遠のけば人は友人に頼る‥友人とのズレが気になり出したら恋人に頼る‥恋人に頼り過ぎズレが生じたら人はどうするのだろう‥
…依頼依存は愛ではありません‥
搬入へ、空ニャンがいっぱいあるので吊るすのが大変だ。
サブさん、取り付けている時、空ニャン空から落として木っ端みじん。
そうか、飛ぶものは落ちる‥鳥とかも飛んでいて急に具合が悪くなったらやはり落ちるのだろうか?
蝉とかは一週間しか生きられない、いきなり、うっ!と落ちるのだろうか?
夏の何日間でバタバタ落ちているのだろう‥わー思っただけですごい。
と空ニャンは2週間ここで飛ぶのだが落ちないでくれよ。
13日個展初日晴れ、朝さなぎが腸になれずに死んだ‥疲れてるみたい。
会場は活気溢れ、サインなどもいっぱいしちゃったりして楽しかったです。
ヤセ子ひとり、孤独の寂しさから逃げようと自分の存在を無理に示し嫌われ者をやってくれてるンで、他がしっかり団結したのでしょう‥あんまし関係ないかも。
…人は悪者嫌われ者になりたくないから善者になろうとして偽善者になる。
人は偽善者になりたくないから正直者になろうとする。
正直者は自分は正しいと我を主張し愛を忘れ真理から遠ざかり悪者嫌われ者になる…
ヤセ子は、トン子に似てると思った。
体型はまるで逆で、ガリガリのコオロギのようだが、双方とも欲求が過度である‥つまり欲求不満だ。
こんな飽食の日本で、見た目は極端に太った者と痩せた者が内面腹へって腹へってしょうがないくらい飢えているのである。
飢えがあるから満足を求める。
満足を求めるから飢えがある。
満足を求めなければ飢えはない。
飢えと満足はお互いがあって成り立つ。
ひとつでは存在できないなら、双方とも反対側が生んだただの幻だ。
幻を満たそうとしても、穴の開いた桶に水です。
満たされる事は決してありません。
水を汲むだけ無駄だ。
ほんとに欲しい分だけ確かな手ですくって飲めばいい‥こぼさないように、そーっと。
夜はパーティで盛り上がり、14日晴れ、バイバイスタッフお客さんみなさんあんがとね。


8月11日 (日)  [282] 招きましょう

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8月11日晴れ
とても暑い。
外の日陰においてある温度計が40度になっている。
デッキのよしずの下が35度。
たまったもんでありません。
やれやれ‥
昨日で絵付けも終わり、今日は、よつば大頭、空ニャントリオ、ダッコばんセブン、酔っ払いおやじ猫、エアロビおばん猫など明るく元気な新作ものを沢山撮影して、包んで包んでマエノッチの車に詰め込み、では明日倉敷でと見送る。
さあ、はりきって元気に行くぞ〜
やっと一段落つき、外で寿司でも食いたい気分なのだが、明日朝早くお出かけという事でおあずけ。
夕方、大元気のお札の書をやった。
たまに書道をすると、この文字の元気を意識し始め、筆が独りでに潔くなり、その気が体に移り、元気になったような気がしてくる。
文字とは不思議な魔物だ。
今年、この大元気がみなさんに人気があるのは、みんな不景気で沈みがちだからだろう。
と、元気よく墨がなくなるまで40枚ほど書し、元気なまま散歩に出る。
入道雲が夕日に照らされてきれいだ。


8月10日 (土)  [281] OPEN YOUR EYES

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8月10日やっぱり晴れ
久々に食料などを買いにいった。
最近ハングリングのおかげで食料がそんなにいらない。
一石二鳥です。
これは、体の内部と外部の流れがゆったりしているという事ではないだろうか?
バクバク食えばそれだけカロリーを消費せねばならないし、食料代を稼ぐために多くの時間を労働に従事しなければならない。
ところがハングリングをすると、メシ食わないから食料代をそんなに気にしなくていいし、あせって稼がなくてもいいから、かえってしっかりきちんとした喜べる作品に向かう事ができる。
この競争消費文明社会に、ワシは反逆しているパンクニャンなのだ。
‥小学校に押し入り殺人を行った者がいる。
ただの反逆や反抗は、この社会の権力や法をますます頑固なものとし助長させる事となる。
権力やそのものらに都合のいい法は、かえって反逆や暴力や暴走を生む。
つまり、反逆などを生まないようにしようとするその考えそのものが、反逆や暴力を生んでいる。
なぜなら、反逆とか暴力は反抗するべきものがあって成り立つものだし、だれの心の中にも反逆精神なるものがないわけではないからである。
この社会の中心部に流れているのは、未来に向かう希望もしくは絶望のどちらかです。
その源はというと、それは個人の思いです。
私がえらい、私が正しい、私がダメだ、私が可哀想、私は成功したい‥などの『私』の思いのことです。
だれの中にもいて、とても重大な顔をして反省などした事なく都合の言い様に思考を操り自己正当化するのが『私』です。
社会の中にそんな人いるでしょう?‥それは自分の中にいるから解るのです。
あなたが『私』なのです。
ところで、その『私』とやらは本当に存在するのだろうか?
言葉で作られた幻ではないだろうか?
夢・幻ならば、目を覚ませば消えます。
本当の反逆とは、社会全体が夢・幻に操られている事を知り、そんな夢うつつの家畜小屋の中にいて食わされて飼いならされて争わさせられて‥いないで、完全に目を覚ます事です。
絵付けやっと終わった、どっと疲れた。
さあ、風呂でも入って目を覚ましのんびりしよう。
今夜も、天は幻ひとつない星空だ。


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