2月23日 (水) [3313] 公美堂84
つまり二十歳が二十一歳になるのではなく、二十歳は情報や水分を吸収しきめ細やかでデリケートで女性の柔肌のように柔らかくなってひらがな文字で表せるような『はたち』になる。その後発散したアートによって醗酵して酸っぱくなり狂気を秘めた意志の強い味わいになりカタカナ文字で表せるような『ハタチ』になる。それから数々の経験を積み香草のように味が特別なものに変化し『パタチ』になる。次に知識はより大きな観念に吸い込まれシンプル化し、色が抜けてコントラストが不明瞭になり『ファタシュ』になる。
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2月22日 (火) [3312] 耳ふさぎ
昨日は中学の同級生が亡くなったので告別式で約40年ぶりに同級生らと会う。この村では『耳ふさぎ』と言って、死者が寂しがって同級生を死の世界に誘うから訃報を聞かなかったことにする。それで餅を耳に詰めるそうだ。本当に餅を詰めることはなく団子を食ってお酒を飲む同級会のようなもの。会う数分前、変な汗が出てドキドキして吐きそうだった。逃げようかと思った。大声出して気合いをいれて会場の呑み屋に入った。違和感、疎外感、異邦人だけど郷愁がある。40年という時間は妙なものだ。再開だけど完全に忘れて当たり前の長い時間だ。だから知っている様で知らない人達である。馴染めそうで馴染めないだろう後天的に培った拭いきれない性質と、三つ子の魂百までという先天的性質が混じり絡んだ。妙だ。とても感慨深く不思議な面白い感覚を味わった。
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2月21日 (月) [3311] 公美堂83
このファッションでは季節感が全く解らない。寒い季節は我慢することで削除し、四季を春から夏頃の季節に一定してしまったようだ。これは意識的だ。これだといつ見ても変化がないからズーッと二十歳で間違いないのかもしれない。いつも同じ格好なので、年月と共に帽子のつばはボロボロになり、その切れ目には青いビニールテープが貼られて修繕されていた。白いシャツの襟も少しほころび始めていたが修繕はしてなかった。青い靴は何度も塗り直されていたようだ。この変化こそが二十歳のまま成長している姿なのだろう。
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2月20日 (日) [3310] ヨゾ
雪が降ろうが嵐が来ようが外に出るヨゾ。ヨゾの向こうに見えるのがヨゾパーゴラです。その向こうの木にヤマセミが止まります。写真は家の中からガラス越しに撮ったのでブルーのフィルターがあるようになってます。実際は真っ白と真っ黒のきれいなコントラストの世界です。
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2月19日 (土) [3309] 公美堂82
芹沢くんのおかしな少年の格好は気候や季節に関係なく一年中まったく同じだった。それでも冬は寒い。そこで冬は同じ白いボタンダウンシャツを何枚も重ね着することで見た目は夏場のファッションと変わりないものにしていた。上半身はそれでいいが、下半身は半ズボンだ。さすがに肌色のストッキングを履くには格好悪いかして半ズボンは真冬も通した。自分では子供の頃からの寒冷ジンマシンを克服するためと言っていたが、公美堂が新しいビルになり二階に画廊ができた1991年の冬間近の芹沢くんの個展ではキャンバスをストッキングで覆ってその上に絵の具を乗せていたから、余程ストッキングを履こうか履くまいか迷っていたのではなかろうか?
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