もりわじん絵日記 2006. 12
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12月26日 (火)  [1802] 展覧会

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 RAIN
いつもとても大きな展覧会を思い描いている。さて、そこに自分はどんな作品を展示するんだろう?
そこは招き猫など知らない土地である。今までにやったこともない未知の会場だ。未知ではあるが展示用のなにもかもが整っている。何かが目的の展覧会ではない。特別な分野の誰かのための展覧会ではない。見に来る人達は既成の展覧会を期待しているわけではない。いつもの感動を期待しているわけでもない。

今までもこれからもそんな未知の会場で展覧会をしている。

見に来た人達はそこなのにそこでない未知の美しいところに旅立つ。


12月25日 (月)  [1801] アート

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 FINE
ア〜歯がズキズキする。年末年始用の絵付けも終わり、クリスマスパーティで朝の4時頃まで飲み食い騒いだせいだろう。
この間、いつも作品を運び展示してくれてる風呂猫スタッフの前ノッチが、年末の仕事も終わったから暇でしょう、と言っていた。その前にもこれに似たようなセリフがあった。ふ〜ん、そのように僕の職業をみているんだなぁ、とちょいとがっかりした。注文の作品があるから忙しい、とはぐらかす。
人にどんなふうに思われようと仕方ないことだ。
展覧会があれば忙しいのは、それは当然だ。でも、本当は展覧会などなくても変わりない。もともと展覧会などできない無名時代から絵を描いていた。名声や収入が目的ではなくね。アーティストならそれが普通なんだ。展覧会や収入のためにアートをやっているわけではないんだ。それはアート全体のごく表面的なことなんだよ。氷山の一角。地球上に人間はいるがごく表面にしかいないだろう。だったら地球の表面だけ必要であとは人間にとって無駄なわけではあるまい。大切なのは氷山の一角以外のところであり時間なんだ。その海の中にあって見えないところがどんなものなのか、どれほど深いのか、どれほど緻密なのか、どれほどデリケートなのか、どれほど美しいのか‥
どんな職業も大切だが、アートはもっとも大切なものだ。なぜならアートは全ての職業の中に秘かにある。全ての中にありながらどこにも見つからない。ふと輝いていると感じた時、そこにアートが現出している。


12月24日 (日)  [1800] 『言葉で本当の事は言えない』90

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『言葉で本当の事は言えない』90
今の科学は究極のところ何も解らない。言葉で本当の事は言えない、解らない。対してこの呪術のような舞台空間は究極の無意味。ここが大切なのだろう。初めっから時間の概念を超えている。これは祭りというものかもしれない。知を超えた体感芸術になるから、人々の中の悟性に訴えかける。悟性は知性より高いところにあるからね。知性には本当の事は解らない。知性は解らないでお終いだが、悟性は解らないから始まる。始まっても、終わりまで解らないから時間は無い。
無意味という超知性から言葉は吐かれる。



12月23日 (土)  [1799] 『言葉で本当の事は言えない』89

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 FINE
『言葉で本当の事は言えない』89
物もそうだ。視覚的に何かの作用をする。芸術作品だね。孔雀明王なる芸術作品と究極の音楽である真言によって人の中の迷いや苦しみを浄化する。孔雀が毒グモを食っても平気なように人の悩みという毒を解毒するわけだ。誰もができるわけではない。心底まっさらからっぽが肝心だ。芸術というより呪術にちかいね。



12月22日 (金)  [1798] よだれ掛け

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 CLOUDY
早起きしてバタバタと絵付け梱包送り。年末年始は厳しい。絵付けが昔のように簡単ではなくなり、よだれ掛けというものがプラスされてきた。そこに粘土いじり段階で文字を刻印している。そこにカラフルに緻密に色を入れる。最近はこのような絵付けが気に入っている。この文字が気に入っているのだ。お札という作品があって、書した木に猫の粘土が貼ってある。それとは反対に猫にお札を合体させた形だ。こうすることで、縁起御利益パワーが増す感じ。これが時間がかかり、手がおかしくなる。昨日などは手が火照って火照って眠れず起きて手を冷水に浸した。それでも他人の腕のように感じつねり叩き噛みついた、ら、痛い。暴れたくなったわい。
あ〜ゆず湯‥


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