もりわじん絵日記 2006. 12
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12月16日 (土)  [1792] 笑福

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 FINE
昨日は年末年始の作品を納品したし断食も終えたので、友人誘ってダニ家のガレージセール。おいしい昼飯も出るしいろんな服や家具あり、大勢人が来る。断食してた聖界から完全に降り超俗界でダニと罵詈雑言エログロナンセンス、双方相混じって笑福来る。酒まで飲んじゃってさ。


12月15日 (金)  [1791] 断食4

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 FINE
今朝は気分がいい。ぐっすりと眠れた。夢できれいなおっぱいを触ったけど食欲だろうか性欲だろうか?
断食で食べるものを語ったが、ウンコに付いても大事だろう。入るものと出るもの。ウンコは断食二日目は普通。前の日の昼まで普通に食っていたからね。次の日はいい練り具合の大きさ人さし指一本。次の日は黄金色のウンコ大きさ小指一本。黄金色は小腸の老化した細胞だろうと思う。小腸は3日で新しい細胞に変わるというから。これが出ると良いという。言霊的には黄金ウンコだから「金運」ありってことだ。次の日は、なぜかけっこう出た。大きさは親指と中指と薬指分だね。これで片手全部の指がそろった。そして今日はもう片方の指全部分が出た。これで両手がそろった。両手のシワが合わさって「祈り」叶って「幸せ」ってことだね。抽象化されたこれらの言葉は言霊となって我が身に滲み、粘土にしみ込み、招き猫なる物ができあがる。赤子の無邪気な笑顔が人の内の無邪気さに感応し笑顔として導き出すように‥
今朝はリンゴ二切れと大根おろしとショウガ、醤油少々入った番茶。
昼食は梅干し、もずく酢、主食に「おめでとう」と名の付いている小豆と玄米のお粥。これはマクロビオティックという食事法を広めた桜沢如一が命名した。なんで「おめでとう」なのか、食いながら考える。もともとは病気が治った後の食事で、治っておめでとうということらしいが、言霊的縁起物作家の自分としては「お米で豆」なんてね。ぜんぜんシャレになってないか。ちなみに略してマクロビは玄米を中心に全粒穀物、豆類、海草類を主体とした日本型の食事。明治時代の医師の石塚左玄が陰陽学を基本にあみだした食養生の考え方、これを思想家の桜沢如一がアメリカで普及させ現代になって久司道夫が発展させたもの。考え方も料理法もとても自然で美しい。健全な精神は健全な肉体から、健全な肉体は健全な食事から、とも言うしね。
夜も小豆玄米粥に多少のおかずに久しぶりのお味噌汁。美味しそう。マ、何食ってもこんな時はすこぶる旨いけどね。
5泊6日の断食行でした。お終い。



12月14日 (木)  [1790] 断食3

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RAIN
昨日の夜は豆のスープを啜る。ずるずる‥
夜中身体が火照って暑くて目が覚めてしまった。なんだったのだろう?
朝食はヤーコン、ニンジン、リンゴの生絞りホットジュースに干し芋一口。ま、なんて事はない。多少ふらふらするが、慣れてくるものだ。遭難しても生きていける自信がついた感じだね。しかし、そのまま発見されなければ御陀仏だけど。また仕事はまって目が疲れてもなんだから、一時間ほど禅を組む。
昼は葛湯。にちゃにちゃ‥
前に断食やった時は一口も口にしないでやったが、あれはダメだ。無理がある。我慢している感じだ。今回の方がなだらかだし、我慢もないし、空腹が気にならない。面白いのはガツガツしたいという食欲がないことだ。けっこうこのままズーッといけそうだ。何もできないけどね。いろいろ内面的にも気付くことが多い。
夜は、普通の食事に戻してゆくための食事にする。玄米粥、それに加えてデザートに寒天とみかん一個。


12月13日 (水)  [1789] 断食2

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 FINE,RINE LATER
昨日の昼は生絞りホットジュースを一杯と干し芋一切れ。夕方頃から頭のてっぺんが重く痛む。時間と共に頭痛は額に降りてゆき眉に達する。これはきついなと感じる。夕食は昨晩と同じ玄米粥にする。そんなに食欲はない。早めに寝る。
今朝、昨日とはうって変わって青空、心身共に晴れやか。
こんなにぐっすり寝ることもないくらい深く寝た。それでも深い眠りから浮いてくる時に夢を見た。うちに20年ほど前に死んだ祖母が遊びに来ていた‥
昨日の頭痛がなんとなくわかった。本を読んだあとから頭のてっぺんが痛み始めた。その後の作品絵付けは額と眉の痛み。ほとんど食べてなく最低限の栄養補給なのに、頭と目をいつも通りに使った。断食の時は頭も身体もなるべく使わないことなんだろう。
今朝は食欲がない。朝食は番茶と飴一個。食おうと思えば食欲が湧いてくるという感じだ。食べたいと食べたくないがバランスよく対峙している。もしくは、食べたいも食べたくないもない。欲求も反対の欲求もないんだろう。あるといえばある。妙な境地だ。昼は番茶とハーブティだけ。一日食事をしないということはかなり退屈なことで、時間がいつもの数倍もある感じになる。時間は感覚の産物であることを発見。一日24時間というのを人は的確に把握していない。食事をするというのは食欲を満たすということでもあるが、退屈しのぎということでもあるようだ。つまり身体のための食事ではなくなっているから肥満になるのだろう。断食は長い食事があるいつものリズムではなくなるので退屈を凌ごうといろんなことをしてしまう。いろんなことをしようとして身体を使えば身体が辛くなる。頭や目を使えば頭や目が辛くなる。見ざる聞かざる物言わざるのように何も使わないことなのだが、いつものリズムが悪い癖として身についている。いつものリズムがマンネリ化している。リズムはずうっと一定ではなく歳とともに変化する。断食は年令に応じたリズムを修正するためでもある。空いた時間はなるべく何もしないことだ。そのうち退屈しのぎの食事も無駄な運動も無理な思考も欲さなくなる。リズムがやっとなくなった。リズムの下に流れていたものを感じてる。時々ふとしたことで現れて自らに心地よさを与えていた本体はこれだ。永遠とまでに感じるぐらいすばらしい。言葉にできない。忘れていけない大事なこととはこれだろう。
猫がじっと宙を見ているように‥


12月12日 (火)  [1788] 断食

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 RAIN
日曜日の夜から断食にはいっている。まずは夕食、お茶碗一杯の玄米粥に少しの漬け物、あとは番茶を飲んで空腹を紛らわす。次の日の朝食はヤーコンとリンゴの生絞りのジュース、昼はリンゴとニンジンとショウガの生絞りをホットジュースにしてコップ一杯をゆっくり飲む。身体は軽くスッキリしているが腹が減って食べ物の事を思うともう止めようという気になる。それで夜は本当ならジュースにするはずだが、多少気を許して卵少し入れた玄米粥に豆菓子数粒ポリポリ。
で、今朝、いつもよりぐっすり深く寝た感じで目が覚める。体操をしアトリエに掃除機をかけストーブに灯油を入れる。さて朝食。今朝はヤーコン、ニンジン、ラフランス、リンゴを生絞りでホットジュース僅かコップ一杯を飲む。ゆっくりね。この時点で肉体も精神もまったく静寂になる。病いや死などの気分が滅入る負の事柄に負を感じなくなる。精神が徐々に言葉から離れてゆく。肉体は運動というものからも離れてゆく。心身共にまったく静かだ。ここに来て忘れていた断食の美しさを知る。


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