もりわじん絵日記 2008. 11
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11月30日 (日)  [2495] ヴィジョン4

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ウツ君も2度目の結婚をし子をもうけた。
家庭というものを持って新たな自分を捜し出し、それを育て家族みんな幸せになる。
ところが会社が倒産してプー太郎になってしまった。
再就職に励んでいるかと思えば、なんとウツになり、酒飲んで逃避している。
作家とかだったら自堕落しても少しは仏様も許してくれるだろう。
しかし、タダのプー太郎が自堕落してもそれは家庭崩壊であり芸術家気取りだ。
プー太郎だっていい場所やいいもの食おうと戦っているだろう。
嫁が泣いている。
「お父さんが帰って来ない」と泣いている。
目の前にいるのに。
心ここにあらず。



11月29日 (土)  [2494] ヴィジョン3

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ワシの友人のウツ君だが、ヴィジョンが無いからウツになるのだろうか?と思った。
ウツ君が数年前、離婚した時の事。
ウツ君のお父さんは「お前には未来のヴィジョンが無い」と言った。
なるほど、的確なお父さんだ。
そのまま時は過ぎた。

で、今、再び消化されないままになっていたヴィジョンという言葉が出てくる。



11月28日 (金)  [2493] ヴィジョン2

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このヴィジョン、間違いない。
ただ自分のためだけに好きなことやって生きていても、なぜか虚しい。
それはヴィジョンというものが無いからだと思う。
ヴィジョンとはと聞かれて、好きなことやる事、お金儲け、幸せになる事など勘違いしている人が多い。
それは抽象的すぎるから、明確でない。
また夢や希望や目的など。
夢や希望や目的は叶えてしまえば、結局それほどでもない。
諦めてもそれほどでもなかったりする。
大学合格したからって、ヴィジョンが無ければ虚しい。
幸福な結婚したからって、ヴィジョンが無ければ後悔だ。
裕福になったからって、ヴィジョンが無ければ退屈だ。
うまいものばかり食ったって、ヴィジョンが無ければ不満だ。
快楽三昧しても、ヴィジョンが無ければ動物だ。


11月27日 (木)  [2492] 家猫148ヴィジョン1

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ギャラリーを建てる事を後々にしたので、気が楽になった。
家猫を建てるまでは死ねないなどと、内心ちょっとだが思っていた。
という事は建てたら死ぬ。
もしかしたら建てる前に、願い叶わず涙の死。
なんてのはいまいち臭い。
家など建てるなんて想像さえした事無かった自分が家など建てるわけだから、ほんと大丈夫かな?そんな器あったかな?罰あたるんじゃないか?など多少不安を持つ。
その不安を拭い去るにはと考える。
板東さんのように、家なのだが美術館であったりギャラリーであったり図書館であったりと社会や文化の一環として家を建てればいい。
板東夫妻は猫社会を仏教を布教するように静かにささやかに広げている。
決して自分本位ではなく、新たな文化や産業として社会に定着させている。
そのおかげで、町には祭りが起こり、手作り好きな人たちは潤った。
えらいもんだ。尊敬に値する。
こういうのをヴィジョンと言う。


11月26日 (水)  [2491] 家猫147

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アトリエのチャイの手の屋根を見て、ユジ君が言った。
「これ、招き屋根っていうんですよ」
そんな名前があるとは知らなかった。
偶然にもその形になった。
面白い。



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