もりわじん絵日記 2008. 11
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11月10日 (月)  [2474] 家猫131

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今度は展開図だ。
各部屋の内部立面みたいなものだ。
今持っている家具などを配置したり、棚を造ったり壁の素材・色などを決めてゆく。
これをやっていると平面や立面の間違いに気付いたりして、変更・練り直し。
その修正からまたまた全体に影響を及ぼしてゆく。
なんか時間のかかる粘土作品を作っているような気になってきた。
どでかい作品だからね。
時間も金も労力も相当なもんだ。



11月9日 (日)  [2473] 家猫130

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家猫のパースを眺めていて思った。
夏目漱石が言うように
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」
を意識しながらうねるように進んでいる感じだ。
自分にとって、建築というのはこういうものなんだろう。
あ〜そうだ。
夏目漱石の『草枕』のような雰囲気の風景の中で草を枕にして死んでた、なんていいね。
もう一つ、宮沢賢治の詩にあるような「まるで林の中さ来たよだ」的風景も心にしみますわ。
なんか一つ一つ風景の素材がそろってきてる。



11月8日 (土)  [2472] 家猫129

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それでは自分はどんな風景で死ねるか?
日本庭園で死んでいたら、どこかの浮浪者が迷い込んだと思われてしまうだろう。
もしくは庭に忍び込んだ泥棒が事故死。
どちらもゴミと思われる。
欧風のガーデンで死んでても同じだろう。
やはりワシはゴミだ。
関係ないが、ガウディが死んだ時、あまりにみすぼらしかったから数日浮浪者の死として扱われたんだって。
かといって林や森の奥深くの風景では、新種の猿人発見と騒がれるだけでおいそれと安らかに死ねない。
親の作った庭で死んでも美しくも何ともない。
死ねる風景ができたといって、いろんな人がここなら死ねると死に場所のようになっては困る。
ワシの庭は墓場ではない。
そういや自殺の名所なるものが各地にあるが、あの風景が自殺者の心象風景と一致するのだろうか?



11月7日 (金)  [2471] 家猫128

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俳優の柳生博氏が八ヶ岳クラブなるものを作った。
まるで林のようでいい。
彼の言葉がいい。
「自分が死んでいく風景を作っている。好きな雑木を植えて。
木を植え続けて、そして自分が死ぬとき木々がよく頑張ったなと拍手してくれる。これがオレの最高の風景だ」
自分もそれに近い気持ちがあって故郷の地に居を構える事にした。
考えてみれば、粘土仕事にしても見えはしないが死ねる大きな風景(世界観)を作っている感じだ。
その風景の一部がこの見える風景の家猫と庭なんだろうな。



11月6日 (木)  [2470] 家猫127

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この碁が見えるところの岸辺にギャラリーを建てる。
といっても15メートルも下を川は流れているし崖もあるから小川のせせらぎという風景ではない。
ギャラリーで個展をして村に我ありを示すつもり。
それで考えたのが『もりわじん碁展』という個展だ。
『もりわじん碁点御殿碁展』でもいいか。
今月絵日記で描いているのが碁点猫なわけですな。



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