7月26日 (木) [2014] 無我の境地6
FINE チベットで思い出した。 6年ほど前かな?このような絵日記を書く前のこと。 朝早く寝てるところに、友達から「ダライ・ラマの講演チケットがあるんだけど、風邪で行けなくなったから代わりに行って」と電話があった。 たまたま自分が住んでいる近所で講演だったのだ。 「チケットはわじんさんの水猫太子という作品のデスマスクを買ってくれた人が会場玄関で持っているから一緒に行ってね」 講演とかコンサートとか演劇は身動きとれないからあまり好きでない。 飽きても出ることもままならぬ。 しかし、こんな講演は滅多にないし、なにかの縁と思い眠いけど起きて出かけることに。 ダライ・ラマはすばらしい人だった。 何がすばらしいかって? まるで子供だ。 落ち着きがない。 無邪気だ。 話の内容は一つだけ覚えている。 「依存は不在」
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7月25日 (水) [2013] 無我の境地5
CLOUDY へその上に胸がある。 ここは心、へその位置より高い所にあるので視野はへそより広い。 つまり心はお金より視野が広い。 お金のお腹は前にしか突き出ないが、胸は両腕が左右に広がっているから人類とか世界にまで意識は広がる。 無意識の世界までの視野もある。 両手で抱きしめる。 「私たちの地球」「地球を愛で救おう」などの個的ではないハートフルな広がりがある。 またこの部位には肺があるので悲しみを感じやすい。 キリストの十字架はこの部位のシンボルだね。 しかし「手をつないで仲良くしよう」「私たちの…」というようなグループを作りたがるエゴが垣間見える。 それは、時に偽善的で感傷的で感情的で押し付けがましい。 2/26[1864]と27[1865]の絵日記『吉日』参照
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7月24日 (火) [2012] 無我の境地4
FINE 尻の穴から性器、へそへと上がってきた。 次に進む前に、足のこと。 足は木でいうところの根に当たる。 大地のエネルギーをいっぱい吸っているところ。 がっちり大地に足を据えて踏みしめて前に進む、そんな力強さ。 そのエネルギーが尻の穴を始点にして上へと上がっていく。 無我の境地という高みへの道の途中に性器やへそなどの我欲を誘うポイントがある。 そこには留まらない。 留まると詰まったり淀んだりして腐ってしまう。 とことん無我の境地へ流れる。
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7月23日 (月) [2011] 無我の境地3
RAIN 性器の上にへそがある。 性器の位置より高い所にあるので視野は性器より広い。 社会的である。 胃腸があるので食べることから派生してお金の所。 「腹黒い」とか言うように、お金に汚い悪巧みするところでもある。 そういう人は腹が出ている人が多い。 「私腹を肥やす」というのは、腹が出ているイメージだ。 劣等感が強いせいでやり手であることを自慢する。 自分が偉いということを見せつけたい。 腹は前に出るので、人の前に出ようとする。 つまりでたがりで権力への意志が強い。 前には出ようとするが、体を重くもしてしまい高みに上がることを押さえつけてしまっている。
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7月22日 (日) [2010] 無我の境地2
CLOUDY 尻の穴の上に性器がある。 太初に近いところにあるから生きる意思が強い。 その上にオスメスに分かれてしまったものだから合体を欲する。 セックスによって子孫繁栄の流れができるのだが、そのことが個人の精神の中でも働き、死後も自分が継続する観念を持つ。 自分は死にたくない死なないというエゴですね。 魂や前世とか来世にこだわってしまう。 人間や社会を性的衝動で解釈する。 もろちん性欲にとらわれている。 それだけで頭おっぱい。 おっぱいの記憶から離れられないので何かをくわえたがる。 例えばタバコなどね。 バブバブ…スパスパ…
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