もりわじん絵日記 2005. 4
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4月25日 (月)  [1195] 画竜点睛

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夜中、雨降ってたみたいだが、起きたら、雲ひとつない快晴。
よっしゃー、やるぞー。庭で何日もエカキストをやってきた。出だしはよかった。オーやるぞー、描きたい形もオリジナリティ溢れるもので他に類を見ない。それが自分のテクニックと一体化しているので迷いはない、と。しかし、ここ数日の後半、どうやっても気に入った表情が出ない。この苦難を乗り越えるアイデアもテクニックもでない。つまらなくなって、ア〜ダメだダメだ。それでも絞り出してこうではどうだ、ダメだ‥と、どんどん落ち込んでいた。時々の庭いじりがあるもので狂わずに済んではいた。ところが、絵とは不思議なもので、よく言う、画竜点睛。昨日、もうそろそろ、終盤戦にいかねば時間的に間に合わないと感じ、気持ち満足しないまま、目鼻をいれたらすごいもんで、新たなアイデアも湧き出てテクニックと結びつき、何もかもが引き締まって、どんどん活き活きしてきた。おおォ−、イイ感じだ。ほんとだ、画竜点睛だ!
今日も、画竜点睛で、みんな竜になって飛んでいっちゃった〜。楽しいわと、勢い増して絵は見る見るうちに出来上がったのはいいが、手が痛む。腱鞘炎になってしまったみたい。ちょっと調子乗り過ぎたかな?


4月24日 (日)  [1194] 北斎

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朝から、庭木の本を見て、愕然とする。
スパニッシュブルームは移植を嫌う。花モモの剪定は4月下旬にやったら来年の花は咲かない。藤の移植で根を切ったら10年後に枯れる。ケヤキの移植は掘り上げ時期が年末にやったものは根鉢がついていればそのままほっぽり出してもいいが、年初めに掘り上げたものはすぐに植え付けないと枯れる。掘り上げで絶対に避けたい時期が4月から5月、えっ!今じゃん、あっちゃ〜。移植というのは人間の移植手術と同じで、植物にとってだって生死の問題でかなり体力を使う‥
しかし、庭師さんらはこんなに多い植物のあれやこれやをよくまあ知ったもんだと感心するわ。藤の移植なんか10年後に結果が出るんだから、これが原因なんて解るのには何代も渡る経験が必要だろう。人間の植物に対する高慢さに呆れ果て、脅かしかな?まあ、それにしてもすごいもんだ。これも透明な根っこのようなものを感じるね‥
なんでも、昔の経験の積み重ねによる知識が次世代に伝えられ、何百年と受け継がれてきた。科学の発達に伴いいろんな新製品ができ昔の経験や職人技術に取って変わってしまっているものが多いけど、それらはそれらで新たな積み重ねを必要とする。なんでも解ったような事言ってしまって諦めたり自暴自棄なったりしがちだが、人生とは失敗しながら最後まで研究し続けるものかもしれない。たぶん植物の大師匠などは、そのものが植物と一体化して解る解らないなどは超えてしまっているのだろう‥植物人間だったりして、ダハ‥
「天、我をして五年の命を保たしめば真正の画工となるを得べし」
北斎、最後の言葉。享年 90歳。



4月23日 (土)  [1193] 皆違う

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庭いじりにハマって3年ぐらいになるが、少しだけだが木々が解るようになってきた。図鑑などではいくら調べても、この木が実際この庭のどこに合うのかどうなるのかどのように成長するのかが解らない。陽当たりと水はけ、隣の木によってまったく違ったものになる。大きさも、同じ木でも皆違う。高くなると言われている木でも変に横広がりだったりする。人間と同じようなもので大きさ重さ性格まちまちだ。猫だって、こうも性格が違うとは飼ってみなければ解らない。ワシの友人に太陽に当ると目眩がして頭痛がするから日陰ばっかり歩いている者がいる。太陽の子ではないわけだ。まあ、なんとなく大分けはできるのだろうが、とにかく皆違う。今回だけの庭ならイメージデザインに合ったものを植えればいいのだが、そんなものすぐに飽きる。それに微妙な成長変化が楽しいわけで来年再来年数年後の風景がある。
昨日の夕方、源平モモを手に入れたので桜の木の下の芝生の端に植えた。一つの木に白と赤、それらの混じりあいの花が咲く。よくその辺りで見かけ、いつか欲しいと思っていたものだ。桜の季節に咲くものだから、花見には最高だろう。あとユキヤナギの八重を植えた。
今朝は、多少わかった知識と感覚で移植をやる。モミジ、スパニッシュブルーム、うずきなどなど。今まで植えてあったものだが、成長したのを見て、ここならいけるというのがおおよそわかってきたのだ。
ところがどっこい、移植してから庭木の手入れの本を見たら、やっぱりいろいろと間違っていた。まったく甘かったね。なんかいい加減なんだな‥


4月22日 (金)  [1192] 透明な根

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昨日風呂屋に行った帰りにハックさんとこメシ食いに。ここで、メシ以外に厳粛も味わった。
ハックさんが二十歳の時に26歳の兄が死んだらしい。ハックさんが朝起きてコタツに入ってたら、兄がやってきて目の前でいきなり倒れた。また冗談だろうと思って近づいたら、痙攣してる。倒れた時に舌でも噛んで舌が喉につまり呼吸停止してしまったのかと思い、口を開けようとしたが開けられない。親父と一緒に兄の歯の隙間にライターを押し込み捻り二人で口を開けた。ところが舌は大丈夫。お医者さんをよんだが、もう死んでいた。心筋梗塞、突然死。
ハックさんは死んだ兄の子供が大きくなるまで借金があって辞めるにも辞められない兄の仕事を継いだ。十数年後、甥っこも大人になった。ハックさんはその仕事を甥っこにすべて譲り、一から自分の仕事を始めた。
風来坊の性格のハックさんは、兄の突然死で人生すべてが変わったように感じる、と言っていた。確かに、欲のままどこで野たれ死するか解らん根無し草の風来坊ハックさんに確かな根がある事を気付かせたのだろう。
死はまったくの静寂だ。波一つ立っていない状態だ。迷いや悩みや苦しみとは心に波立つ事であるから、解決はただ一つ、波立たない静寂しかない。しかし、それは死と似てはいるが死ではない。敢えて言うなら、心の死だ。透明な根っこを観続けることだろう‥


4月21日 (木)  [1191] 厳粛

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またヨゾが塀を越えた。バラ線に毛がついていた。なるほど、ここから出たんだな。バラ線をもっとこまい編み目にする。これでどうだ!
夕方、隣のタマ吉と喧嘩している猫の叫び声。なんと、敷地から出るはずのないマピユではないか!マピユはヨゾと姉妹でアニニョンの娘。もともとマピユとヨゾの名前は真昼と夜空だったが、いつの間にかこんな名前になってしまった。マピユ、タマ吉に追いかけられて、網を越えてビビって逃げてきたのはいいが、いったいどこから出たのだろう?まったく困ったやつらだ。
昨日、お墓や神棚などを掃除すると気持ちが新鮮になる、と言って思うのだが、うまいものを食うと美味しいという感覚になる。性的なものは気持ちいいという感覚になる。お墓掃除の感覚がこれらの感覚と同じではないが、もっと深いところに響く心地よさがある。厳粛な気持ちになる。どちらかと言えば先程の欲望が無意味になって心が透明になって大きく広がる心地よい感覚だ。知人が死んだり飼い猫が死んだりすると悲しいがしょうがない事だからどうしようもなく、心の奥の方にとてつもない新鮮な感覚が沸き起こる。これと繋がっている。やはり、何かなかなか見えにくいが根っこがあるようだ。透明な根っこ。食欲や性欲の思うがままに進んでも何も満たされないのは、根がないからだろう。ならば、この透明な根を感じるに任せて進んでみようかしら‥真昼と夜空はそのように進んでいるのだろうか?


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