もりわじん絵日記 2009. 7
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7月11日 (土)  [2718] 化ける55

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 なにもかもが脇役として考えられ主役などはいなくなってしまう。映画などの主役は物語を引き立てる脇役として考えられる。映画だって日常に楽しさを与えるという目的の脇役である。なにもかもが脇役に、どこまでいっても自分は脇役に。この世に主役は無いようだ。


7月10日 (金)  [2717] 化ける54

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 そうやって考えると、世の全ての作品は脇役である。脇役や化けるというのは非常に日本的な仏教的な東洋的な磁場からでてきた表現のように思っていて、西洋的な一神教的な磁場からでたものは一神教ゆえ個人主義的作家名が表に出た主役的なものと思っていたが、それらも脇役であることに気付いた。美術という世界を運営するための脇役一ページだからね。広げて、作品だけでなく人もなにもかも全て本質は脇役なのだろう。


7月9日 (木)  [2716] 化ける53

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 脇役ということでふと阿修羅像が浮かんだ。興福寺の阿修羅像はとてもいい作品で、この間の美術館の展示ではすごい行列だったという。阿修羅の顔の表情に引きつけられるような美しさ寂しさを感じる。あの作品の作家が誰かみんな知っているだろうか? 阿修羅の謂れは知っているのだろうか? あの作品の作家は完全に阿修羅の脇役になっていると思う。そして阿修羅だって仏教という教えの脇役なのである。


7月8日 (水)  [2715] 化ける52

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 この花伝書に「物学」というのが書いてあって「ものまね」と読むらしい。能だから、女になる、老人になる、狂人になる、神になる、鬼になる、つまり様々に化ける。そしてこの書では、物学をしつづけることによって、もはや似せようとしなくともよい境地というものが生まれるというのである。名人を超えて達人の域を秘伝しているんだ。すごくねぇ、猫に化けなくても猫になっちまうという境地ですかね。


7月7日 (火)  [2714] 化ける51

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 三十代半ば、というのが気になる。僕の友達でとってもいいミュージシャンがいた。じゃがたらの江戸アケミ、女の名前だが、男だ。それからボ・ガンボスのどんと。歌もいいが、何と言ってもその魂が美しい。この二人とも37歳で死んでいる。そういや宮澤賢治もゴッホも37歳で死んでいる。みんな化けてしまった。ちなみにお釈迦様が悟ったのは三十代半ばだ。仏陀に化けた。


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