もりわじん絵日記 2009. 7
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7月21日 (火)  [2728] 化ける65

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 自分の母親は1933年生まれだからもう70半ばを過ぎている。その母親が今度脳を手術することになった。血管が腫れていて、そこが破けたりすると脳卒中などになってしまう。いつ破けるか解らない、破けないかもしれないが、爆弾を抱えて心配しながら居るよりは、手術して破れないようにするという事らしい。僕には何もすることができないし、安心する言葉も持ち合わせていない。でも、粘土いじりからならどんなことでもできる。そこで粘土いじりで手当てをしてあげることにした。その作品は、母猫が子猫の頭やお腹に手当てをしているものだ。僕は母親の子供だが、僕が母親の母親に化けて子供時代の母親の手当てをしている気分だ。お百度参りというのがあるように少なくとも百体は作るつもりだ。


7月20日 (月)  [2727] 化ける64

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 招き猫は猫であることが大切だが、猫でなくても招いているという手があればそれだけでも縁起物になる。だから手だけでも、肉球だけでも縁起物になる。トイレの砂掻いた手だから汚いと思うけど、目が疲れたとき、猫の手を瞼の上に置くと冷たくて心地良い。作品ではその手が手当てをするのだからけっこう面白い。そういや、手当てというのは給料という意味でお金とも結びつく。


7月19日 (日)  [2726] 化ける63

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 手当てというのは患部に直接手を当てるのではなく、患部から一センチぐらい離して、手を空中に置く。すると、手の平からフォトンというのが出てるらしいが、それはさておき、患部が暖かくなってくる。直接触れるといまいち違う。触れるか触れないかぐらいが実にいいのだ。何だってそんな微妙なところに心地良さがあると思う。愛だって触れるか触れないぐらいが心地良い。やったことない人はやってみるといい。


7月18日 (土)  [2725] 化ける62

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 さて、次は何に化けるか。いつもそんな賢しらな事考えているわけではなく、最近は『てあて』という作品をいっぱい作り続けている。よく、母親がお腹の具合の悪い子供のお腹に手を当てたりする光景、そこから看病する事を手当てというようになったと聞く。


7月17日 (金)  [2724] 化ける61

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 主役も脇役も無くなった次元に立つ時、空間的には地上を離れより大きな視野で物事を見ていることになるだろう。人は自己中心的な主役から旅を始め、何かと合体したくなる。愛かね。合体することで少し高次元に化ける。化けるをやってゆくうちに思い込んでいた主役は薄れ脇役を知る。主役と脇役が合体したような、主役も脇役も消える瞬間を味わう。神秘体験ともいうだろう。エクスタシーを味わう。宇宙空間にいるような感覚であるかもしれない。しかし、主役である主体はないからそれを記述したり思い出したりできない。


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