もりわじん絵日記 2009. 5
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5月21日 (木)  [2667] 化ける4

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 化仏と言うのがあって菩薩は何かに化けて現れると言う。もしかしたら目の前の恋人が教えをたれる菩薩かもしれない。もしかしたら飼っている猫が、隣の意地悪ジジィが、嫌いなあいつが、子供が、木が、雨がと菩薩はいろんなものに化けて、我らに真実を教えているというもの。自分の作風もそういったものに近いのでは。そのように意識してやっているわけではなく、いつの間にかそのような風になってしまった。化けるということに重大な秘密があるように感じる。なにか大事なものを伝えるためにそのようにならざるを得ないのか?
 僕は菩薩行の真っただ中にいる。



5月20日 (水)  [2666] 赤福オーナ−2

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 担当のいがぐり君に連れられて先生風伊勢福社長の橋さんとくすんだ顔の秘書とオーナー室へ。3万年も続く赤福餅の3000代目オーナーだけに、オーナー室に向かう皆のもの厳かに粛々と背筋真っ直ぐに歩く。初めてオーナーを見たが、まあ、まん丸で恵比寿様のような満面の笑み。他に20名のお付きのきれいな女性陣がいて円状に位置する。僕はオーナーから100メートル程離れた対面のソファーに座る。遠くにオーナーがいて、オーナーのバックは総ガラス張りで真緑の森が広がる。いい風景だ。オーナーはゆったりとした口調で優しく的確に時に殿様のように威厳的に大商人の知恵を持って語る。まるで、司馬遼太郎の話しに出て来る人物のようだった。僕はあまりにも遠くにいるオーナーの耳に届くように大きな声で語る。大きな声で語ると身体の内部で各細胞が活性化して楽しくなりどんどん話しのアイデアが沸いてくる。話しも弾み、建築の話しにちょいと触れたので、ここぞとばかりに持ってきた家猫の模型の写真を見せた。なんていわれるかなと内心ドキドキしたが「これはいい」となんども褒めた。褒められるとますます声高らかに家猫の毛波から木波ができたこと、庭が爆弾落としたような津波の庭になることなど話したら、もう目の前に家猫は建っていた。オーナーもその家猫が建っている気を味わったのだろう、顔の半分が大きな笑い口になり、僕の作品のんが〜になった。


5月19日 (火)  [2665] 赤福オーナー1

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 伊勢に出かける。赤福やおかげ横町などの中心人物濱田オーナーに会うため。
 十年以上もおかげ横町では猫祭りで個展などやらしてもらっていたが、オーナーには会ったことがなかった。新しく店を造るというので、その中や外に巨大な招き猫を置くという事になり、僕の作品が浮上した。今まで、だいぶ前になるがいろんな方と打ち合わせを何度かやったが、どうもイマイチ乗りが違うので、打ち合わせなどは風呂猫さんに任せて、自分は制作に没頭していた。ところがオーナーは中継ぎなどそれこそ面倒なので直々僕がどんな奴か会ってみたいとなったらしい。オーナーは大の普請好きでおかげ横町から志摩スペイン村からなんやかんやと50以上の建物やら町づくりをやっている。それも安っぽいものではなくきちんと細部まで行き届いた居心地のいいものを造っている。おかげ横町などは最たるもので、川を見ながらの食事も散歩も実に自然で心地良い。
 ところで僕はというと、去年は家猫を設計し今着工しているのだが、チャンスがあればどんどん家を建てたいという喜びを知った。だからオーナーの普請好きがわかる。この時期に出会うことになったということに縁を感じる。



5月18日 (月)  [2664] 化ける3

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 よくよく自分の作品を眺めてみると、猫が他のものに化ける前に、始めに人が猫に化けている。僕の猫の特徴としてはおじゃんこしている形だ。つまり正座している形をとっている。猫がこんな座り方をしないし、従来の招き猫にしてもこんな形ではない。まずはじめに人がいて、それが猫に化けているのだ。毛並みがついているから表面上は完全に猫に化けている。がしかし、正座しているので違和感がある。毛並みのないものでも、模様が招き猫になっているので、猫の置物に化けている。猫だけでなくいろんな作品を作るから人が何かに化けていると言った方が基本が一つにまとまってわかりやすい。人気のものが猫だし自分に肩書きを付けるなら猫作家の方がわかりやすいから、人が猫に化けている、僕が猫に化けている。そして、その化け猫が他のいろんなものに化けている、といえる。



5月17日 (日)  [2663] 化ける2

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 擬人化という言葉があるが、猫を人に見立てたり、樹や物やあらゆるものを人に見立てて扱ったりする。これはあらゆるものを人間に化けさせて考えている。仲間の猫作家さん達にも猫が服着て人間の日常を描いているのがある。あれは擬人化と言える。僕の作品もそういうものかなと誰もが思ってしまうが、そうではない。僕の作品にもそういったものがあるにはあるが、自分では違和感がある。思いつくものはなんでも作ってしまう質なので、作っているのだろう。僕の作品はよく見ると、猫を人間にしているのではなく、あらゆるものを猫にしている。いわゆる擬猫化なのだ。



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