5月10日 (日)  [2656] 家猫展最終日

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 朝、風呂に入って鼻歌を歌っていてふと幸福感がやってきた。あっ、こんなことかと一人微笑んでしまった。
 個展などをやると売るとか売れないとかで心を乱される。売れるとか売れないなどのことで一喜一憂してもつまらないのに、そりゃあ、来る人来る人が作品を購入してくれれば嬉しいことに違いないが、次の個展でそれが続かず反対の結果になったら辛い。そこで思うのだが、この一喜一憂の間によく見えにくい空間というか空気というかそんなものがあって、それがあるから超えて一喜だったり、落ちて一憂だったり、前後なのか上下なのか左右なのかは知らないけども、一喜と一憂の間にあるその見えにくい空気というのはしっかり流れていて、間違いなく滞ることはない。もし滞るならこの世は死んでいる。そう、この世の血液、この世の呼吸のようなところで、その息は僕のしている息と同じで、荒くなれば一喜で、ため息なら一憂なのだろう。ちょっと呼吸を整えることを知ればこの世の息に自分の息が整合する。そして僕はそんな呼吸の作品を間違いなく作っているのだからと強く思ったので、もう一喜一憂する必要はないのだとそう感じた時、幸福感が降ってきたのだ。かといってもう一喜一憂が無くなったわけではなく、今後も一喜一憂するだろうと思うが、幸福感は見えにくい空気なもので、癪に触るが、幸福感だけあって一喜一憂などなくてもいいと思うけど、一喜一憂した時にだけ幸福感を味わい、一喜一憂しなくなった時にはやはり幸福感も見えないし味わえない。