5月26日 (火) [2672] 化ける9
作品の内容だけでなく作品作りにしてもいろんな人の才能などと合体して変身している。特にSSなどまったくもってそうだ。昔でいうところの浮世絵の版画工房みたいなもんで、より良い版画作品ができるためには肉筆と彫り師と刷り師、版元などいろんな人が関わる。建築なんかもそうだ。設計士が木工や屋根葺くわけでなくいろんな人の手が入って家という作品はでき上がる。八百万の神がいてこの世が成り立つようなものでしょうかね。みんなが関わっていい作品に化ける。
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5月25日 (月) [2671] 化ける8
手塚さんで思い出したがメルモちゃんというアニメもあったな。あれは女の子が成長を自由自在にコントロールできるもので、大人の女性に変身、化けるシーンは子供ながらにスケベな、なんか妙な気分になるので、興味津々だった。のちにそれはエロという表現のものであり、気持ちいいのだがとてもいけない秘密のものと知る。秘密になればなるほどインビになり興味は深まり、僕はとうとう将来それに手を染めることになる。僕は化けた。
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5月24日 (日) [2670] 化ける7
手塚治虫に『バンパイヤ』というのがあって、 大昔、テレビでは水谷豊がオオカミに変身していた。人がオオカミに化ける。このシーンは驚きの記憶としてあるが、オオカミから人へ戻るシーンは知らない。あったっけ? 観客にとってはオオカミが人に化け戻る映像に迫力や美はないのかもしれない。
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5月23日 (土) [2669] 化ける6
来年のカレンダー作品のテーマにするつもりの夏目漱石の『吾輩は猫である』などは、完全に人が猫に化けて語っている物語だ。ま、内容からして猫が人の言葉を使っているから猫が人に化けていると言えるが、猫が人の言葉を語るなどというのは実際ないから、当たり前に考えて夏目漱石という人が猫に化けて語っている小説ということになる。名もないあの猫を通して内に夏目漱石が居り、その夏目漱石のもっと内部深くには菩薩がいる。日常風景の中にいつでもどこでも菩薩が空気になって流れているような心地良さや悟りを感じさせる文章になっているのはそのせいだろう。
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5月22日 (金) [2668] 化ける5
猫が人間になって服着たものは擬人化で、猫が人間化しているのに、なぜか人間が猫をかぶったように見える。服着て顔が猫で目立つから猫の面をかぶったように感じるのだろう。これでは猫かぶりになってしまい、嘘つきということになってしまう。では人間が猫に化ける擬猫化でみると、僕の作品は人間が猫の皮をかぶった着ぐるみのように見える。こっちの方がほんとうの猫かぶりと言える筈なのに、そうは見えない。ここに嘘と真のパラドックス、化仏のような摩訶不思議が潜んでいるような、そんな感覚が些細だが人の精神とシンクロする。
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