もりわじん絵日記 2009. 4
メニューに戻る
4月5日 (日)  [2621] 家猫185

20090405-1.jpg


 土波もデタラメ感が欲しい。ところどころ小波があったり、波しぶきもある。全体的に庭は緑の海って感じだ。家を中心にまん丸な波紋というのでなくて、ところどころ歪ませたりして、予測できない海の波の適当感、デタラメ。波紋ではなく、適当な波。見たことのある普通の海の風景。デザイン化される前のある一瞬が止まってしまったような思い出の風景。もう二度と誰も描けない唯一の風景。海の波、それでいてそれが庭。一番生命の根源である海。そこから僕らは生まれた。海、海、海、海…



4月4日 (土)  [2620] 家猫184

20090404-1.jpg


 石庭模様ではなく実際の海の波。適当に揺れている海に家という物体を落とした時に出来る波模様だ。海の波は、多分まだコンピューターでも描きにくいだろう。科学や数学がまだまだ踏み込めない原始の感覚に踏み込もうよ。



4月3日 (金)  [2619] 家猫183

20090403-1.jpg


「龍安寺の石庭のようなものですか?」とホシ君から返事。それは違う。
 龍安寺の石庭は石が停止してるので波はコンパスで描ける。それは石の周りに波紋を描いているだけで、形骸化したものだ。まったく違う。あれは誰もが出来るようにマニュアル化されたデザインだ。それは形を欲しがった時代の産物で、今はつまらない固まってしまったイメージだ。そういう有名なものを手本にすれば、新しいものはできない。求めているのは広がる津波だよ。



4月2日 (木)  [2618] 家猫182

20090402-1.jpg


 将来は家から放射状に木々も斜めに植えようかなと思っている。津波に流された感じに。ん!これって建築の新しい波かしら? それとも僕の中の新しい波かしら? 世の中では不景気という暗い波が押し寄せている。僕は無意識に生きるという本能がそんな暗い波はつまらん、吹っ飛ばしてやるんだと50も過ぎているのに建築設計やったり小説書いたりと新しいものに取り組むことで明るい波を起こしている。50と言えばおじさんという年齢らしいが、僕は子供の頃から精神は歳をとっていない、バカなのか? 多分子供のまま成長し続けているだけだ。巨大な精神を持った赤ん坊だ。生まれたばかりの赤ん坊が泣くように僕は津波を起こそうとしている、その象徴がこの家猫の風景だろう。なんかそんな感じだね。いいね、自己満足。



4月1日 (水)  [2617] 家猫181

20090401-1.jpg


 ホシ君、なんか余計な心配してるな、それとも面倒なのだろうか? 糞が付く程見た目が真面目な感じの人だからな。そんな事いわず挑戦してよ。波の中心が家になっているので家が目立つと思う。実際に、そのような庭を造って、そこに木を植え林にしようとしているので、模型から現場をイメージし易くなる。僕にとって家猫は家と庭があって『家庭』ということなので、なんとか庭を表現したい。何もアイデアが無ければフラットでもいいが、この嬉しいアイデアが出たわけだし、それも意味の無いデザインではなく、なにかがある予感がする。土波は一般的に見たことないし、もしどこかにあったとしても屋根の山波や壁の木波のコンセプトがあるので『波』が統括して発想の原点になっている。自分が『波』に興味を持ったのは、多分、全てを非対称に歪ましたのに、グランドが矩形や平らではつまらないと感じたのだろう。かといって日本庭園や他の庭作家のもいろいろ見たが、それらの真似や普通のものでは満足しない。ずっと、どんとすごい風景はと考えていて、土波を思いついた。多分最高の風景になると思うのだが……



| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
2009/4
SuMoTuWeThFrSa
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

前月     翌月