9月10日 (木) [2779] 夢2
実は、小学生の頃、面白い夢を見ると、それをノートに書き留めておいた。それが癖で、大きくなっても見た面白い夢はなんとなくノートに書き留めたが、あとで読んでも面白くも何ともない。なんのことかもわからない。その時、大切なのは映像の方だと解った。それで映像だけ記憶し、一度、誰かの前で語ってみることにした。話す時、夢の内容の文章を読むのではなく、映像の流れを映画のナレーションと台詞を語るように話すと夢と同じ感動が呼び戻される。重要なのは映像だ。絵だ、視覚だ。初の夢語りが『地鎮祭』というものだった。けっこう好きな話しだ。
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9月9日 (水) [2778] 夢
家を建てていて思い出すのが、昔、通っていた画材屋さんが4階建てのビルを建てることになった。この時、初めて「地鎮祭」なる言葉を聞いた。地鎮祭って何だろう? 画材屋の店長タカさんに聞いても、その時に限ってお客がきたりしてタイミングが合わず、仕事の手が開かないので答えてもらえない。仕方なし、工務店の若者に聞いたが、コチラもなかなか手が開かない。「ちょっと忙しいからあとで」と言われ、何日も過ぎた。僕の中で、地鎮祭とは? が大きく広がっていった。それでわけのわからん夢を見ることになるのだが、この話しは、『もりわじん』というビデオにでている。どこで売っているか知らんけど。
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9月8日 (火) [2777] 家猫工事12
その部屋は草間弥生の部屋だった。別に草間弥生が好きなわけではない。部屋の真ん中のベッドの頭の上の壁にA3ぐらいのサイズの黄色と黒色のドットのカボチャの版画が飾ってある。ベッド脇の台の上には手にのる程の小さな同じカボチャの立体が置いてある。そのまま、目を窓に移すと大きな窓から瀬戸内海が見える。広い海を見ていると、向こうの海岸になにか? 巨大なドットカボチャを発見。あ〜美しい。こういう構図、ステップが好きなのだろうか。トン、トン、ドーーーン! 芭蕉の句が脳裏を過った『荒海や佐渡に跨がる天の川』、ほんとうは『荒海や佐渡に横たう天の川』らしいが「跨がる」で覚えてしまったから「跨がる」の方が僕にはしっくりくる。人知を遥かに超えたドでかい何かが跨がって歩いているようで心地良いのだ。
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9月7日 (月) [2776] 家猫工事11
僕は粘土作品で同じ形の寸法違いをたくさん作る。ミクロからマクロ。たぶんそういうのが好きなんだと思う。家猫の百分の一と五十分の一の模型は作った。だったら実物により近い三分の一という模型があった方が面白い。 ずいぶん前になるが、瀬戸内海にある直島という所に行った。そこにはベネッセが建築家の安藤忠雄に依頼して作った美術館兼宿泊施設のようなものがある。各宿泊部屋はアーティストがデザインしたものとなっている。面白そうなので、宿泊していない他の部屋がどんなものか覗いて回った。自分が泊まった部屋のアーティストもどんなアートかも忘れてしまったのに、ある部屋だけ未だに覚えている。
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9月6日 (日) [2775] 家猫工事10
上棟祭の時、三分の一の模型も楽しみに田舎に向かう。ところが、なんと、もう壊した、だって。ガーン。そりゃそうだ。考えてみれば、そんなデカイのいつまでも工務店の敷地において置けるわけがない。こっちが必要かどうかも解らんものだし、家猫の前に建てるとなったとしてもバラして持ってこなければならない。結局は壊す羽目にあるものだ。しかし、この三分の一のおかげで、こういう発想もありだなってギャラリーのイメージが広がった気がする。すごい見たかったけど。
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