もりわじん絵日記 2010. 3
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3月11日 (木)  [2965] 猫共

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 この新居『家猫』で、猫共はと言うと、誰かは解らないが座椅子に一回目のオシッコ。次がフカフカの布団にオシッコ。そして三回目が大きなフカフカクッションに。同じ猫がやっているのか? 予想としてはびびりのヨゾ、もしくはひゅるるのポチ君がやっているように思う。しかし、この迷惑行為も引っ越して最初の三日間で、その後はまったくない。このオシッコで家猫が自分の住処と言う事を納得したかのようだ。これは嬉しいことだ。前の家ではしょっちゅうやられていたから。


3月10日 (水)  [2964] 饒舌

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 家猫はたった一点で建築という分野にハマりきらない饒舌な作品です。「家猫」と言うタイトルそのものがタダの名前ではない。意匠、構造、心、宗教、村、社会、生き様、夢、癒し、自然、科学、生物、伝統、和、最先端などなど、全てを含みながら全てに捕われることなく全てを超越している。たぶん、そう自負しても過言ではない。‥‥‥ちょいとハイになっているみたい。


3月9日 (火)  [2963] 大きい

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 20年以上も前、とても大きな絵を描いていた。六畳の壁が高さ2.4メートル、幅が3.6メートルあったから、そこにベニヤで平らな壁を作り壁の大きさのハンプに、作った2メートルの筆を使ってでかい絵ばかり描いていた。ある時こんな言葉を耳にした。「大きい絵を描いているうちは何もわからない」。こんな言葉、当時はうるさいと思って無視していたが、覚えているのは気になっていたからだろう。人は大きいとか大袈裟なものとか大儲けできるものとかが好きで小さいことを疎かにしがちだ。心のどこかに小さなものに対する差別がある。差別があるうちは半分しか見えないわけだから心の空間は狭い。差別がなくなればとてつもなく大きな世界が見える。


3月8日 (月)  [2962] 巨大造形物

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 家猫は世界一大きな招き猫ではあるが、世の中には建造物や造形物で馬鹿でかいのはわんさとある。ピラミッド、スフィンクス、大仏などなど。万里の長城などは龍のようだ。今や技術が発展しているので、それ程苦難無く時間も掛けずにどんどん作られている。高層ビルは国の力で我一番高いと競争するように建設されている。そんな過去現在の様々な造形物の中に入ったら、やっぱり家猫は猫と同じで可愛い家だ。そこが魅力でもある。家猫はそんなラットレースとは無関係なんだ。居心地の象徴なんですな。


3月7日 (日)  [2961] 古い波4

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 テクテクジィは噂の猫がどんなものか見にきた。見せたら、先の横柄親父と同じように「ちっちゃい」と言った。このテクテクにも家猫を示したが、何も感じない。この家がどでかい作品であることに古い波は気付かない。よくよく話しを聞くと、テクテクジィの近所にでかい造形作品を作るおじさんがいて、その仲間らしいのだ。だから作品を大きさで判断しているみたい。


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