5月16日 (金) [2296] 幸福不動42
ダルマ展も終わって、再び「誕生日」の中の細部を眺めてみる。 猫は感情的な好き嫌いがあるから無機質な誕生日という月日が出てきた。 しかし、このコンセプトは自分にとって自己所有的で作品は人にとって自己所有的だ。 それに誕生時間という細部にはかなわない。 ところが、そういや、誕生日の基本の細部に「ざぐり」があった。 「ざぐり」は、まさにスピードそのものでもある。 やはり「ざぐり」が心地よい。 この心地よさがすべてを漏らす事なく救うという仏さんの願いに近づくのではないだろうか? そんな風に感じる、昨今。 ダルマ考でした。
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5月15日 (木) [2295] 幸福不動41
ところで、仏教をキリスト教やイスラム教や民間信仰と一緒くたにしている傾向がある。 間違いだね。 仏教は神という絶対神とは対照的な哲学である。 つまり今の科学と同じようなもの。 今の科学は反キリスト教として進歩してきた。 『無』を提示しているからね。 その哲学の流れとして「ダルマ」がいる。 てなわけで、ダルマは現代人にとってけっこう重要な位置にいると思う。 ある意味で救いがある。
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5月14日 (水) [2294] 幸福不動40
ダルマの作品を展示していて、その作品までの創作の流れを来た人に語る。 驚いた事に、ほんとうのダルマさんのことを知らない人が多すぎる。 置物だとか、武士だとか言う。 なに人かも、もちろん何をした人かも知らない。 なんともまあ、好奇心というものが希薄なんだね。 これでは、自分の心境が今ダルマというものを創造した事など説明しても通じるわけがない。 ちょいとがっかりだったね。
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5月13日 (火) [2293] 幸福不動39
その都度負けては勝つ方向へ努力したり向かったりする。 そんな感じでいろいろ経験を積む。
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5月12日 (月) [2292] 幸福不動38
できないことはできない。 できない事を努力してできる事もあるが、それでもできないことはできない。 できないから性質を変えようとしたりするが、イメージではできても現実はそう簡単なものでない。 映画などで変身ものが受けるのはその辺にあるんだろうな。 しかし一時カタルシスに陥るだけで、できないものはやはりできない。 普通にできる事の中から可能性を探究する事だろうね。 その探究が揺れながらではあるが… …そのうち、なんと!できている。
やっと、個展も終了。
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