もりわじん絵日記 2010. 6
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6月20日 (日)  [3066] 着物

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 毎週土日に着物で個展会場に出向いている。この会場は200年も前に建てた家で、ここに移築された。いい木をふんだんに使い、大工さんを5年間、宮大工修行をさせて建てた家なんだって。そこに神仏の作品だ。やはり着物でしょう。ってことで久しぶりに着物ですだ。


6月19日 (土)  [3065] わざわざ

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 こんな田舎でやる展覧会なので、たいして人は来ないだろうと高を括っていた。ところがけっこう人は来る。わざわざ東京から来た人がいた。家猫の庭で草刈りしていたら、誰かが歩いている。なんと、いつも東京の個展会場で会うお客さんだ。わざわざ、家猫や個展を見に来てくれたのだ。最上徳内記念館での展示作品も購入してくれた。いい奴や。嬉しい。偉い! 


6月18日 (金)  [3064] 如来の手4

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 とまあ如来の手だけでなく仏像はアートとしてみても面白いわけです。しかし、時代とともに、面白さは薄れ、仏像はどんどんタダの辛気くさい怖いものと思われるようになる。そういう部分もあるから、そこだけ肥大化してちょっと現実離れしてしまった。ワシはその如来の手の人差し指だけを猫の手にしている。ますます現実離れしているように思えるが、そうではない。見るものの心は仏像というアートと身近になる筈さ、、と願いたい。


6月17日 (木)  [3063] 如来の手3

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 昔もやらねばならないアーティスト魂があったわけだ。当時の社会情況や政治情況、凝り固まった人々の既成概念、それらに純粋に立ち向かわなければならなかった。昔の仏師はシャレが効くだけでなく、ちゃんと仏のように人間もカエルも差別なく見る意識を持っていたことになる。造形技術だけでなく生命という大きな視点でものを見ていたのだ。そこが偉い! 


6月16日 (水)  [3062] 如来の手2

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 それはシャレだが、もっとも大切なのは、水掻きのあるようなカエルなどの動物と神を合体させていることだ。カエルだからかなり下等と言える。崇高な如来様様の手に水掻き。そんな下等なカエルの手、どういうことだ! けしからん! 人は下等なものを邪険にする。頑固な信心者が多い世の中だから、如来にカエルの手なんかつけたらみんなから袋だたきにあうかもしれない。ドキドキもんだね。


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