河村目呂二

明治に生まれ、大正モダニズムを駆け抜け、激動の昭和を生きた。日本一の愛猫家・元祖招き猫蒐集家・創作招き猫アーティスト

コレクションと共に、招き猫ポーズの河村目呂二
▲コレクションと共に、招き猫ポーズの河村目呂二

河村目呂二、本名、弘は1886年(明治19年)、岐阜県揖斐郡宮地村(現池田町)に生まれた。同年生まれには、平塚らいてう(婦人運動家)、石川啄木(歌人)、山田耕筰(作曲家)、岡本一平(漫画家)、谷崎潤一郎(小説家)、松井須磨子(女優)、萩原朔太郎(詩人)、藤田嗣冶(画家)など。目呂二は大正後期から昭和初期にかけて活躍した彫刻家・文筆家である。招き猫愛好家の間では通称「芸者招き」の作家として知られる。
東京美術学校(現東京芸術大学)の彫刻科を出て、東京日本橋のレート化粧料舗図案部でグラフィックデザイナーとして活躍する一方、「あいそめ屋」という屋号で「目呂二人形」などの大正情緒あふれる作品を発表している。同時代の画家竹久夢二に憧れ、目呂二という名も「MELODY」と「夢二」から来ているといわれるが、哀愁をたたえてどこか退廃的な「夢二風美人」と較べて、目呂二の絵も人形も溌刺たる健康美に満ちている。目呂二の作品はおしなべて「明るさ」「無邪気さ」「ユーモア」が感じられるが、人を楽しませることが好きだったという人柄によるものであろうか。
『ねこの先生 河村目呂二』から