もりわじん絵日記 2010. 12
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12月31日 (金)  [3259] 薪棚屋根

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 二三日経って薪棚をよくよく見ると下に積まれた薪に対して屋根が右に二十センチぐらいズレている。またやってしまった。薪に屋根を乗っけるとき重くて力を使い果たしたので、その後の微調整まで気が回らなかった。そのまま屋根の足の作業にはいってしまったのだ。まあ、雪がかかるぐらいズレてるわけではないので、気にならないっていえば気にならないが、否否やはり気になるような、、、ん〜〜、気にしない事にしよう。


12月30日 (木)  [3258] 公美堂60

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 神は「全て」を超えるものなのか? 超えるものならば「全て」には含まれない。見えるありとあらゆるものではない。聞こえるありとあらゆるものではない。臭えるありとあらゆるものではない。味わえるありとあらゆるものではない。触れるありとあらゆるものではない。感じられるありとあらゆるものではない。思えるありとあらゆるものではない。思えないのだ。無なのだ。神は無なのだ。


12月29日 (水)  [3257] みん太4

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 みん太は伊勢から帰って暫く顔見せないと思ってたら、病気で入院。アルバイト賃は病院行き。聞けば大袈裟には言っていたが、たぶんタダの風邪。そんなもんで入院するなんてとんでもない軟弱無駄遣いだ。生きていること事態が燃費悪い。そこで、うちを卒業(首)して実家の部屋を工房らしきものに作り変え、そこで粘土工房をやる事になった。とりあえずうちの下請け業者となったわけだ。実家にいるから楽だが、下請け粘土だけでは食えない。そこで大きな街に出て酔っぱらいの運転代行の仕事を始めた。年末は稼ぎ時らしい。「二足わらじはきついっす」などと言っていた。‥‥雪国なんだから、わらじなど止めて長靴にすべきだ。


12月28日 (火)  [3256] 公美堂59

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 アーティストたるものは家族や家庭などをもはや求めてない。恋人だって超えるべき欲や美なのだ。愛も死も超えているのだ。そんじょそこらの安定のために生きている一般人の言っている事などに貸す耳は持ち合わせてないのだ。あなた方の知らない自由、あなた方が願う自由、あなた方が求める自由、あなた方が忘れた自由、あなた方が捨てた自由、あなた方が偽りと決めつけた自由を身につけているのがアーティストなのだ。アートは破壊なのだ、創造なのだ、神なのだ。


12月27日 (月)  [3255] みん太3

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 みん太にできる仕事は唯一残ったのが粘土いじり。汚いガキらしく泥遊びにあまり不満がない。いじりと言っても造形するにはまだまだ幼稚だから型抜き。型抜きなら個性が出ないスピードと丁寧さがものをいう作業だ。しかしうちに通うのに秋田近くからではガソリン代がバカにならない。うちで働いてもなかなか仕事が捗らずバイト代より往復のガソリン代が高いときがある。フェブリーズもそう、ラシーンもそう、燃費の悪さが目立つんだよな。


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