1月31日 (木) [2190] 森へ28 旅4
ワシも今年51歳。 ふ〜〜〜ん ワシの故郷は東北だし、芭蕉さんに近いもんを感じるな。 東北はいいよ。 侘しさ、寂しさ、空しさ、儚さ、空っぽ、無、ゼロ、間、そら、蜃気楼、あるようでない、知足などの空観が身体に染み渡るからね。 風流です。 風雅です。 心にわだかまりが無くなるからすっきりしてて広くて美しい。 自分だけでなく何もかもを満たしてしまう。 ところが世間にいると飢餓感がある。 いくら食っても、もの持っても、仕事しても、物足りない。 ぎゅうぎゅうなのに物足りない。 ぎゅうぎゅう詰め詰めなのに満たされない。 間(ま)がないのに、満たされない。 おかしいね。 間が大切なんですね。 ポカーんとしたもんがね。 それでちょうど満たされる。
いい旅でした。
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1月30日 (水) [2189] 森へ27 旅3
松尾芭蕉の東北の旅のきっかけとは? ちょっと調べてみました。
松尾芭蕉は下級武士の出身だったが主君に俳諧の道でその才能を認められた。 しかしそれは長く続かなかった。 主君が急死してしまい、新しい主君は全く俳諧に興味は無かった。 芭蕉の武士としての出世は諦めざるを得なかった。 芭蕉は俳諧に精を出し、談林派(だんりんは)全盛の当時、芭蕉も江戸に出て活躍し頭角を現しトップクラスに上り詰めた。 しかし又、その談林派も人々から飽きられ人気が低落、井原西鶴は小説の世界に活路を見出していったが、芭蕉はあくまでも俳諧の道を進もうとする。 俳諧の世界で成功するが弟子が増え収入も増えるが、弟子の指導などに時間を取られて自分自身を磨く時間が無くなってしまう。 40歳を過ぎてもう人生はそう長くは無いと感じれば感じるほど文学の世界に自分なりの俳諧を高めて歴史に残したい。 生活を文学化する為には『旅』が一番良い。 しかも、死を覚悟するような俗世界から遠ざかるようなぎりぎりの環境での旅が良い。自分を極限の世界に置くことにより理想とする、本当の俳諧の世界が見えてくるに違いない。 その為には、北の最果て『東北地方』が良いと考えた。 その昔いわば異国の地の様なその地は、西行などが旅をし、しかも伝説や歌枕、風光明媚な地が沢山あり、万が一にも旅の途中で死んでも悔いは無い。 むしろ誇りとなろう。 松尾芭蕉、46歳。同行者、河合曾良、41歳。 東北の旅は終わり、次の旅の途中大阪にて没、51歳。
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1月29日 (火) [2188] 森へ26 旅2
で、この文章の現代訳を眺めてみる。
月日は永遠に旅を続ける旅人であり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。 船頭として船の上に生涯を浮かべ、馬子として馬のくつわを引いて老いを迎える者は毎日旅をして旅をすみかとしている。 古人の中には旅の途中で命を無くした風流人が多くいる。 私もいつの年からかちぎれ雲が風に吹かれて漂うように誘惑されて、旅に出て歩きたい気持ちが我慢できず、海や浜辺をさすらい、去年の秋、隅田川の畔を破れ小屋において蜘蛛の巣を取り払って暮らしているうちに、次第にその年も暮れ、春になり霞が立ち込める空を見るにつけても、あの名高い白河の関を越えようと、人の心をそわそわさせる神が取り付いて私の心を狂わせ、道祖神が招くような気がして取るものも手につかない。 旅行着の破れ目を直し笠の紐を付け替えて足に灸をすえると、あの有名な松島の月の美しさが真っ先に気にかかって、住んでいる家は他人に売却し、杉風の別宅に引越しする時に句を詠んだ。 「私の住んでいた草庵も住み替わる時が来た。季節も雛祭りの時期、今度は雛人形を飾るような華やかな家になるだろう」 この句を発句とする連句の初めの8句を草庵の柱に掛けておく。
なるほど。 そういう事なのか。 僕は猫神様に招かれて森へと行こうとしているのだろう。か?
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1月28日 (月) [2187] 森へ25 旅1
松尾芭蕉という事で、心身ともに東北にちょいと旅を。 『奥の細道』 月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。 舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老をむかふる者は 日々旅にして旅を栖とす。 古人も多く旅に死せるあり。 予もいづれの年よりか、片雲の風に誘われて、 漂泊の思いやまず、海浜にさすらえ、 去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣をはらいて、 やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白川の関越えんと、 そぞろ神の物につきて心をくるわせ、道祖神のまねきにあいて取るもの手につかず、 股引の破れをつづり、笠の緒つけかえて、 三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別所に移るに、 草の戸も 住み替わる代ぞ 雛の家 表八句を 庵の柱に懸け置く。
この文章で気になったのは「そぞろ神」と「道祖神のまねき」。 なんか自分の天職に近い響き。
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1月27日 (日) [2186] 森へ24
「秋深き隣は何をする人ぞ」松尾芭蕉
そういや、松尾芭蕉は東北を旅したな。 こころの深淵は東北にありかな。
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