2月28日 (水) [1866] 吉日41
FINE そろそろ『吉日』の核心に戻ろう。 せっかく手にはいった静寂の日々。見ざる聞かざる言わざるで大自然にどっぷり溶け込んだ。どこかの自然豊かな観光地に行ってのんびりするわけではない。自炊しながら仕事しながら猫や庭の世話しながらいろいろ多忙だ。虫けらのように自然と一体となって忙しい。心地いい。しかし、これは楽しいのだろうか?苦しいのだろうか? そこで、ふと「楽と苦」というものが浮かんだ。その後「苦しい人を見ると捨ててはおけない」という言葉がよぎった。そういう男気は多少あるが、あるだけでなかなか行動に現せないからそういう感情はないものとしてしまう。しかし、なんとかできるものならなんとかしてやりたいという思いはどこか心の片隅にある。かわいそうな話など見たり聞いたりするとぐっと息が詰まる、涙もでる。どこか自分の中に慈悲心がある。それらの可哀想という思いは消えずにいる。それは消す事のできない自分の中の部分であるのだろう。つまり自分自信なのだ。
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2月27日 (火) [1865] 吉日40
FINE 春風が吹いています。 では、ハートというのはなんだろう?ハートというのは身体のどこにあるのかわからない。胸の辺りにあるような気がする。恋愛や失恋でも胸の辺りが熱くなったり苦しくなったりする。心臓があるからね。心の中に巣食う邪心、暗心、闘争心、偽善心など取り除けば愛に満ちる。余計な心を無くすことによってハートフルがでてくる。それが「無心」でもあるだろう。本当の心は「無心」になった時にでてくる「心」のことだ。だから無心である本当の心(ハート)を無心ではない心(マインド=知)が探しても身体の中のどこにも見つからないわけだ。無を知らない有は無を探せない。物理学でいう所の不確定性原理のようなものかね。例えば、自分の目を見ようと思って鏡を見ても、鏡は前後が逆に映るから本当の自分の目は見えない。ビデオカメラで映してもリアルタイムでは自分の目は見ることができない。真実は見る事も知る事もできない、ハートで感じるものなのかもね。
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2月26日 (月) [1864] 吉日39
FINE 山の方を歩くと多くの梅畑がありちょうど満開で香りが風に乗って流れてくる。福寿草の花が咲いているが多少場違いな風情だ。この花はいつも雪の中から出てくるので、雪のない今年は妙なのだろう。 「心」とはなんだろう?英語ではmindマインドとheartハートがある。 マインドとは思考の事だ。つまり頭、知識や論理だ。だから「無心」と言うものが大事になってくる。「無心」とは「考えるな、頭に頼るな、知識に頼るな、論理で世界はわからない、科学では解明できない」などなど、知による傲慢な社会に歯止めをかけるものなんだ。マインドは核爆弾なんか作ってしまうわけだからね。完全に人類の自殺行為だ。人間の中で自殺を指示するのは頭だ。地球上に起こった大昔の文明が滅びたのは知の傲慢さによるものだろう。だから「無心」だ。
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2月25日 (日) [1863] 吉日38
FINE 梅も咲き終わり、今は杏の花の甘い香りが漂っている。ロウバイから梅の花、杏、香りも春に向かってだんだん甘くなる。ユキヤナギや木いちごの枝に緑色の芽が増え、ゲンカイツツジはつぼみを膨らます。天気はいいが寒く池の水は凍っている。 さてと、話しは『吉日』に戻りまして。 「知・力」でケダモノの世界なのに、「心」の中が偽善ならどうなるか?偽善の心は企む。「正義のため、自由のため、平和のため、平等のため、民主主義を守るため、悪を倒すため」などと美辞麗句、大義名分をかかげ大衆を扇動する。今の社会だね。戦争の絶えない世の中だ。世界を一つにするどころか世界をバラバラにしている。だから武道でも芸道でも無心になれという。無心は上下左右どの方向にも自由だし平等だし、心は平和なのだ。まずは無心、そしてそこから始まる。
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2月24日 (土) [1862] 富士山
FINE これがこの間感動した富士山です。飛行機から撮った写真です。見事でしょう。真上じゃなかったけど、あまりに驚いたので真上だと思い込んでしまったみたい。山で思い出したが、ネパールに行った時、世界最高峰のチョモランマを見ようと思ったが、どこ見てもチョモランマなど見えないのだ。ところがなんと、目の前の遥か上方雲の上にそれは聳えていた。山とは目の前のこの辺りの高さだろうと決め込んでいるため、その予想をこえる高さに吃驚してしまったわけだ。 ところで、チョモランマとはエベレストの事だが、エベレストはイギリス人の測量家の名前。チョモランマがチベット語名。なんで西洋人は大自然にそれもその土地の名前があるものに自分の名前を付けるのだろう?照れというのはないのだろうか? しかし、ほんと毎度驚かされるから、山には思考を超えた何かがある。大切にしたくなるし敬いたくなるのは思考を超えているからだろう。山や地球は人間に破壊されても困らないが、困るのは人間だ。
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