もりわじん絵日記 2003. 9
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9月30日 (火)  [662] 消去

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昨日の夜は、祭りの疲れがどっと出たのか、鼻水は出るわ身体も熱っぽかった。
しかし、変な寝汗をたっぷりかいて、目覚めはすっきり。
とってもいい秋晴れです、道路や庭を掃除する。
ボ〜ッと立って庭のモミジなんか眺めていると、どこかの温泉の露天風呂に一気に飛んでゆく。
紅葉はまだだが、秋って、空気が澄んでいて涼しく日射しのコントラストが明確で何もかもの色が鮮やかに映える。
絵日記を書いていて、去年、茶道のおばあちゃんについてどんなこと書いたんだっけ?と絵日記さかのぼったら、なんと!161番以前が全部無くなっていた。
あらら?!なんということ!
専門家に聞いたら、500番まででいっぱいでその後からは一コ増えれば前のが一コ消去されていくつくりらしい。
ゲッ!ところで、その消去された初期の絵日記はどこにいったの?
どうやら、永遠の彼方にいってしまったらしい。
え"〜過ぎた過去だからしょうがあるまいが、なんとも惜しいことを‥
この絵日記は、福に携わる仕事をしているワシにとって、なんてことない毎日毎日を眺め、そこから真の福とは?幸せとは?を探究している招福絵日記。
未だ、作品でも商品でもない汚れてない未知の光、誰もいじることが出来ない原石、未踏の地ヘの旅、みんなを至福の地へ連れてゆくためのツアーガイド、たぶんどこにもないもの‥
しかし、こんなことがあろうかと、パソコンに組み込まれているスケッチブックに初期前半の絵日記を移しておいたから、どうにかこうにか引き出すことができたが、これも失われていく可能性があると専門家は言う。
全部コピーしてパソコンに新たな本箱なりを作り保管することに‥一日かかってしまった。
あわや、今回気付かずこのまま絵日記続けていってたら、ほんとに全部消えるとこでした。
よくよく考えたら、作品なんかも昔の感覚作風などはどんどん消えていっているのだろうね。
…私はいつまでも私ではあるけれど、いつだって失われ死んだ昨日の私ではない。
そうでなければ、生きている今が新鮮ではないだろう。


9月29日 (月)  [661] 大盛況

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瀬戸の招き猫祭りは、2日間だけなので、一応泊まり込みで会場に顔をだしていた。
すごい人でした、こんなに大勢の人が来るとは予想してなかったので、第一日目の朝はのんびり自分の個展会場にはいかず、ぶらぶら他の人の個展を眺めバカ話ししてたら、スタッフから、もう人人人‥てんやわんやです〜と、電話があり、ほんとかな?〜といってみたら、まさしくすごい!
何百万万人来たのだろう?
次の日はもっとすごく、何億万万人来たのだろう?
だから昼飯抜きで、大勢の人に囲まれサインしたり作品や猫や様々な質問に答えたり。
普段から飯食わなくても平気だから、それほど苦ではないが、やっぱり人のエネルギーの圧力はすごい、神経が疲れますわな。
ワシの個展会場は暗い茶室。
去年、こことは違う茶室で個展をやり、嬉しいことに、茶道の大先生楽しかったということで、今回はおばあちゃん大先生に御指名をいただき、この茶室で2度目の個展とあいなった。
去年の絵日記に描いたおばあちゃんで、変わりなく元気そうで、生きていた。
2日目、昼飯を食べてないワシを見兼ねて、おばあちゃん、自分の弁当を半分持ってきて、食べなさい、と‥すごい、すばらしいお人だ!
聞けば別になんでもないことだが、こういう些細な気の使い方ができるから、ほんと自然体で美しいお方だ。
ただ、自分で使った割り箸を洗って、これを使いなさい、と‥マ、いいかと、それで食ったが‥
割り箸って、唾がしみ込んでいて洗って落ちるものでない。
ん〜、マ、大先生、今から5、60年前はすごい美人で村の男共が競って大先生の触れた物や残り香を奪いあったわけだから、ましてや唇その唾などは興奮のエキス、何万人という屈強な男共を後目に、何十年という時を超えた美しき間接接吻、ということで満足致しました。
大大盛況で2日間の祭りは終わった。
8年前、第一回が始まった時は、エ〜!こんなひなびた山の中、陸の孤島、もしかして日本語通じないんじゃないか?なんで、わざわざこんなへんぴなとこで展覧会やるの?ア〜ア、情けない、ワシも作品も一緒にこのままひなびてスカスカになってしまうのか?などと、思ったが、年々すごくなり盛り上がってきた。
‥なんでもない荒れた土地を耕し種を蒔き育てることの美しいこと楽しいこと、これこそほんとうに大切なことなのですね。


9月25日 (木)  [660] 塩

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曇っていてなんとなく雨っぽいが走歩をする。
今日で3日目なので、慣れたもんで結構呼吸もまともに楽に走れる。
この走歩、源である呼吸まで整えてしまうのだから、なる程なぁと感心する。
過去を振り返らず未来を求めず今を苦悩なく呼吸乱れず生き抜く雲水精神を養っているのだろう。
雲水とは乞食のようなもので、傍から見たら最低の汚い情けない負け人間、だからこそすばらしいことが人は解らない。
でかい大地に直に座り、水も光も必要なものはなにもかも上から自然と落ちてくる。
これが自然の流れなわけで当り前の事、ものは下に落ちる。
楽園に囲まれているようなもの、幸せいっぱいに決まっている。
人はそもそも大地に座り自然からなにもかも頂いていたわけで、このような精神を忘れると、高慢に傲慢に貪欲に過剰を求め、求めるものはそう易々と手に入らないからずる賢くなり謙虚を忘れ他に依存し依頼し、思うようにいかないと他に不満をぶつけ不安を抱え苦しむようになる。
こうやって走歩すると疲れて地べたに座りたくなる。
座ってみると、とり憑かれたようにせわしなく無意味になにかを追い求める幽霊人間が見え、同時に今まで感じたことのない心地よさと幸福感があるのに驚く。
‥なぜ、ここを避けていたのだろう?‥人は大事なことをなぜか明日に伸ばしたがる。
ついでにそこで寝たくなる、いいじゃん寝ちゃえと寝てしまい、そのままいつの間にか仕事も忘れ、本物の浮浪者になって‥風邪引いて死んだらあかんって!
てなことになったらつまらん、それは一つの足枷だ、走歩に足枷はいらん。
何ものにも捕われず、闊歩するその爽快感を欠いてはいけないだろう。
甘く憂鬱にだらけるのではなく、塩のように辛みの効いたきついメッセージが必要だ。
食べ物と同様に、それが本当のその人のうま味を引き出す。
人に塩が不可欠なように、社会にも世の中にも塩が必要だ。
…塩は身を腐敗から守る。
あ!やばい、走歩で疲れて寝坊しちゃった、今から瀬戸いってきま〜ス。


9月24日 (水)  [659] 飛んだ

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昨日の夜はなぜか水分が欲しくて、凍頂ウ−ロンを1・もガブガブ飲んでしまった。
走ったせいだろうか?
早起きして、昨日より走り込む。
昨日よりは、ゼイゼイしない、走ったり歩いたりを繰り返し、苦しくないコツをつかんだようだ。
身体ってのは利口なもんだな‥その身体に任せないで、頭でばっかり日々を過ごそうとするからチグハグになって心身が欠陥だらけになる。
ふくらはぎやお尻の筋肉が心地よく痛い。
ガハハハハハハ‥やったね、2週間以上ぶりに下痢ピーは終わり、うんこは美しい程まともなのが出た、ガハハハハハハハ‥うれしい。
なる程ね、あの腸の弱いお釈迦さんが、あの時代立派に長生きしたのは、死ぬまで山程いっぱい走歩したからだろう。
‥ただのだらだらの長生きではなく、長生きと走歩こそ教えを確実に広める基本だからね。
王子のまま家も出ず、運動もせずにのんべんだらりんと贅沢三昧してたらデブな糖尿なって早死にして、後の世に救いも美もなかったろう。
あ−、ヤバイ、このままじゃぁ僕の一生ブタになるーと気付いて、29歳、雲水になって走歩したのかも。
ところで、昨日はいいアイデアが湧いた。
今年前半は風呂猫スタッフになんやかんや文句いったりで愚痴っぽ言って、自分の立場を崖っぷちに追い込んでいたようだ。
精神的にそれがプレッシャーとなりストレスがたまり、これが下痢ピーの原因でもあったのだろう。
これらの行動は自分の足元を照らし猫界を活性化しようという思いもあったが、本質は活性化とともに新作を生み出す賭けだったのかもしれない。
ここで大腸癌になって死んで糖尿猫界にしてしまうか、それとも飛ぶか‥
そして、僕は走歩して、崖から飛んだ‥


9月23日 (火)  [658] 雲水

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彼岸か〜秋だね。
今日は晴れていて風もあり涼しく心地よい。
大体、運動もしないで欲こいてわざと不安抱え大忙しに粘土仕事して、挙げ句の果てに大酒はいかん。
今年の初め頃は、肉体労働土堀しながら粘土いじりをこなし、肉体も丈夫になり精神もすっきりだった。
解ったぞ!やっぱ、アーティストもスポーツ選手や猫と同じで走り込まないといい作家には成れないのじゃ!
ということで、ジョギングに出かける。
このあたり坂道だらけで、チョッと走っただけでヘトヘト、ゼイゼイいいながら歩くことに。
そのうち心地よくなる、こんな秋晴れの天気の朝の歩きは実に心地よい。
汗をかき20分程で家に帰る。
道路を掃除し、桜の木の下の芝生地に立ってみる。
今頃になって芝生は濃い緑色になってきたが、芝生というより雑草って感じ。
イスを持ってきて座ったら、実に心地よい、一年を通してまともに芝生も伸びず、ここでの居心地はないものと思っていたが、今の季節がいいみたい。
大きいテーブルを大工仕事して使い易くし、芝生地に置く。
まともな朝の食事を4日ぶりに、ここで木漏れ日を浴びながらとる。
ア〜いいわ、まるで林の中にいるようだ。
このまま、ず−っとこうして暮らせないものだろうか?
いつも明日の事を考えて生活するのはせわしない、なにか大事なものを忘れているような‥
明日がなければ今しかない、今のために生きているのは、乞食か雲水ぐらいなものだろう‥今時の彼等は違うかもしれんけど。
雲水に、才能も力も金もいらぬ、だから誰でも成れる平等なもの。
ただただ、走歩して今を生きる、彼等に明日はない、ケモノと同じ、虫と同じ、雲と同じ、流れる水と同じ、空と同じ‥ここに本当の意味での幸せの本質があるのではなかろうか?


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