8月31日 (日) [637] カエル
刑務所暮しはきつい。 だいたい受刑者なんてのは、自分の罪を認めてない。 それより、一体どんな罪を犯したかも認識していない。 何度、反省を促しても、いっこうに罪の重さに気付かない。 だから、あいつが悪い、自分は正しい、自分はいじめられているんだ、世の中が悪い、今に見ていろ、などと思い、自分の本当の姿を一生直視しない‥これを無知という。 そういうワシ、ア〜くそったれ〜と看守に苦情ばっかりいってるもので、まったく胃まで痛い。 ‥ちょっと自分を振り返ってみよう。 と、胃でも暖めるため、のんびり水風呂ではなく湯に浸かる。 苦情や妄想が汗として流れ、すう〜っと新たな風が吹いた。 新しい個展の風景が見えた! あっ、そうか!いける! なんてことはない、ここが刑務所なのは居心地悪いから。 居心地悪いのは、自分の居心地いいとこをないがしろにして、夢のような成功した自分ばっかり思い描き追っているから。 そんなんだから、尚さら、ここが居心地悪い、ここは刑務所になる。 では、自分の居心地いいとこって? ‥たぶん、まわりの作品を買ってくれてるお客さんが知っているのかもね。 そんな気がしたら、いい作品の構想がばんばんでてきた‥ヘヘへ。 夜、ポチくんがなにかを発見したらしく、眺めてみたらでかいヒキガエル。 手足を伸ばせば20cm以上、なんと、立派な体、足なんか鳥のもも肉のように太く大きい。 こいつ、去年この庭にいたあいつかな? こいつにとっては、ここは天国だから、たとえなにがあろうと戻ってきたのだろう。 えらい!あんたは真の自分を知っている。 本来の自分にカエル‥ということですね。
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8月30日 (土) [636] 刑務所
朝、水鉢の枯れ草を取りながら、よ〜し、今日は昨日より沢山作品生むぞ〜と女王バチわじんは気張る。 なんかぁ、実は‥ここは刑務所?! 覚えていないが、なんか悪いことしたのか?それとも前世が悪かったのか?捕まってしまい、ここに軟禁され、僅かなエサで、いい腕してるからと仕事まで与えられている。 ‥それでか、朝は掃除・体操と規則正しい。 こんな刑務所暮し、考えれば苦しく自分の境遇が情けなくなるから、与えられた仕事の中から喜びを見い出そうと、一日招き猫をいくつ作れるかに、日々挑戦して、腱鞘炎が痛み目が疲れ視点が定まらなくなってややロンパリになりながらも、かなりの数をこなした日には、ひとり悦に浸って喜んでいる。 仕事量がいいので、恩情が与えられ、仮出所とまではいかないが、小さな旅の特典がたまにある。 伊勢参りに連れていかれ、罪の反省を兼ねながら、刑務所で作ったものが伊勢神宮前のおかげ横丁なる所で展示され、シャバの人たちから、罪人にしてはできがいいね、やればできるじゃない、このまま頑張ればちゃんと更生できるよ、などと励まされる。 そして又刑務所に戻り、頭を剃られ、正月の祭りに向けて日々数の記録に挑戦する。 えーい、くそ、やめたやめた! バカらし、なにが、いつかは報われるだよ、ふざけんナ! などと言って、仕事をホッポリ出すと、庭は取られ、刑がのびる。 ア〜ここは牢獄蜂の巣の中、身体がでかくて出られない、生んで生んで、身体を小さくせねばならぬ‥ア〜生みの苦しみ‥ めでたくないめでたくない。
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8月29日 (金) [635] 仏師
昨日は充実してた。 午前は腱鞘炎で痛む右手薬指と小指をガムテープでおさえお札に書をし、午後はハパを聞きながらフラダンスしてるうき猫をいっぱい作った。 これらの細かい仕事のせいで、腱鞘炎が尚のことひどくなったような気がするが、あまり気にならない。 書にしてもうき猫にしても短い時間に、いかにハッとしたものを作るかが面白い。 それに数いっぱいやると、なんか気分がいい。 ミツバチの女王が卵を生むようにばんばん作る。 今朝は、5時ぐらいに目が覚め、朝の日射しを見ていた。 早朝から水風呂に入り気を引き締めて書をするため無精髭を剃る。 これで、眉以外は全てつるんつるん、これで、眉までそったら、一体私はだれ?どこ? 筆を持つと、どっかの寺の真面目な美青年修行僧って感じ‥ナルキッソス。 俗世間の金欲名声欲色欲、乙女の甘い汁、エロおばさまの誘いも振り切り、出家し、ここ招き猫寺というニューテンプルで庭を造り畑を耕し自然とともに暮らし、ホモ年寄り僧も相手にせず、現代の仏師として修練する。 その、純真無垢でひたむきな姿勢に仏も喜び、神仏の加護を得て後世に残る立派な招き猫の仏像を作ったとさ。 めでたしめでたし。
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8月28日 (木) [634] 誕生日
お!今日は私の誕生日だ! 1957年8月28日23時30分水曜日に、家で産婆さんの手によって生まれたと聞いている。 だから、今46歳。 なんだろう?46歳って‥イマイチくるものがないな〜 子供の頃、大学生とやらを初めて見た時、大人だなぁ〜と感じたが、いざ自分が二十歳ぐらいになってみると、別になんてことはない。 それより、もっと年とってから大学生とやらを見てみると、毛の生えた子供も子供、ただのバカにしか見えない。 それから30歳になった時、変なショックで、これはかなり気を引き締めないと大変だぞ〜などと感じた。 30代は人生の岐路だった。 横断歩道が赤になりそうなので走ろうと思い、走ったが間に合わない、え!ウソ、確かもっと早く走れているはずなのに‥と、頭と体がいろいろ会議を始める年代。 また、その年を過ぎて30歳の人を見てみると、やっぱりただのバカ。 そして40歳、これは不惑の年といって、迷わなくなると云われている。 40歳は別になってみて、これといったショックもなく、へェ〜40歳だ、オレ。 惑っているわけではないが、自分の作風を壊してみたり、可能性引き出そうと思いも寄らないこと実験したり、このように絵日記を書き始めたり、いろいろ反省もしながら幅を出している。 と同時に、体は大手術を経験し、一ヶ月間動かず、窓の外の空ばかり見ていた。 生き返り退院後、生活は一変し、結婚し、スポーツカーを乗り回し、湖付きの広大な土地と豪邸をキャッシュで買い、花や果実がいっぱいの楽園造りという、今までやったこともない、興味も持ったこともない、やるなんておよそ考えも付かなかった新天地を進んでいる‥なんてね。 46歳、その新天地の中盤ってとこかな? ところで、やはり50歳過ぎたら、40代なんてバカに見えるのかね? 逆で、もっとひどいバカになってたりして‥どうしよう?
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8月27日 (水) [633] 捗
夜中の雨の後なので、涼しい。 今朝は掃除も体操も平常心で、仕事もヤヤやる気満々。 この時期、面倒なったり、頭が分裂するのは、9月の山ほどの展覧会を控えているからで、気があせっているのに、作品がなかなか捗らない。 関係ないけど、この手偏に歩くと書いて『はかどる』っていう字、面白い。 はかどることは手で歩くこと。 考えてみればワシの仕事は手で粘土いじって前に歩くようなものだから、ごたごた頭ばっかりあせっていても始まらない。 下手な考え休むに似たり、で、ごちゃごちゃ独り言いってる隙に粘土でもいじれば、一歩捗るのに、頭は一気に100歩も千歩も万歩も前進したい。 沢山前進すれば、それだけ後が楽になると思っているが、そうではない。 いくら沢山前進したように感じても、それは今日の一歩でしかないわけだから、また後日、また一歩前進しなければならなくなる。 旨いもの沢山食ったからといって、もう食べなくていいわけではない、のと同じ。 やっぱ、確実な一歩、ということで、午前はお札の書をすることに。 この書なるもの、不思議なことに、こんな時の精神を安定させる効果がある。 ところが、書し過ぎて、右手の小指と薬指が妙に痛む。 これは腱鞘炎の前触れ、前に何度もなって、無理すると治るのに時間がかかる。 あと、右耳下の首の筋がおかしい。 これも前に首が回らなくなった所。 けっこう書というのも大変ですわ‥あせらず、程々にですね。
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