12月26日 (金) [2521] ヴィジョン30
板東ラマ言語禄の残りあと二つ。 「このままではダメになる」 これは創造を怠ってしまいやすい僕への戒めだろうな。もっとしっかり修行して無我の境地に立てと尻叩かれた。 「猫神様を超えるもの」 これもしっかり粘土いじりに励みなさい、という事だろう。その後『誕生日』作品ができて猫派や犬派とかに分かれている壁を超えた。誕生日はすべてにある。そして今、建築を学んだ自分の過去が現在、未来と一体化しようとしている。今度は時間の壁だろうか?まあ、それも乗り越え、時間的統一ですね。建築『家猫』へとただいま行進中。それぞれありがたいお言葉です。
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12月25日 (木) [2520] ヴィジョン29
バラバラが一つになった。いわゆる分裂病、今の統合失調症ですか。それから二重人格や多重人格。みんな少なからずバラバラな精神をしていると思う。本音と建前でうまくバランス取れる人や、嘘つきやごまかせるタイプの人は、別に頑張って一つにする必要もないだろう。しかし、それではうまく世の中渡れない感受性の強い人もおる。そういう人は悟るしかないわけですね。他の精神の問題で、躁鬱なんてのもバラバラだよね。感受性の強い優しいウツ君もバラバラ。まあ、悟るしかないわけですな。合体した象徴が欲しいから男と女は戯れる。愛ですね、ダハっ!
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12月24日 (水) [2519] ヴィジョン28
そういや、板東ラマに言われた言葉で確実に覚えているのが4つ。 「いつ悟りましたか?」 まあ、浮いたような台詞だな。昔の禅宗のような。嬉しいような、照れるような。まあ、悟りとはそんなに大袈裟なものではなく、たぶん自分の中にバラバラにあったいろんなものが一つになったんだろう。その象徴として仏像と猫が合体した『猫神様』がでてきたんだろうと思う。 「これからは仏教だね」 これは『猫神様』があまりにもショッキングだったからこうなったんだろうか?じゃあギャラリーの名前は猫王(ニャオウ)にしましょう。人間等身大の座禅組んでいる猫ダルマ像の名前だ。ワァ〜いい感じのギャラリーができるぞ。思ったのは束の間で、チピロに『ふくふく猫』という可愛い名前にされてしまった。チピロとは板東さんの妻であり才女、内面には鬼子母神が潜んでいる感じ。板東さんがMでチピロがS性質だから猫王は退かされてしまった。まあ、大袈裟な名前では変な連中しか来なくなるから、可愛い名前がいい。そのG・ふくふく猫の品のいい看板ばあちゃんが、この板東さんのお母さんだ。それについては2006年の絵日記『G・ふくふく猫のばあちゃん』6/17から始まって土日辺りに約一年ギャラリー閉鎖まで書いている。
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12月23日 (火) [2518] ヴィジョン27
『もりわじん伝』もいいが、『板東寛司伝』でも書こうか。親鸞が言った事を弟子の唯円が歎異抄と言う本にした。異なるを嘆くというタイトルだが、いい。自分が唯円になった気分で板東ラマ僧を描く。板東ラマという言葉だが、ダライ・ラマみたいな人と思えるからだ。最近の日本にはこのような暖かいラマ僧がいっぱい生まれていると思う。昔の日本の禅僧と言えるだろうが、禅僧のイメージは頑固で白黒の厳つい感じだ。板東さんは優しく温和だから、どちらかと言うとチベットの僧に近い。しかし、チベット僧ではない新種のジャパンのラマだからジャパラマ。
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12月22日 (月) [2517] ヴィジョン26
『もりわじん伝』などと言ったのは、たぶん自分にヴィジョンが確かにあると信じているからだろう。それは猫界を作った板東さんにヴィジョンがあるからだ。そのヴィジョンを伝えたいとか後世に残したいとかそんな願いがなんとなくある。 板東さんは、小さな世界ではあるが、猫の畑を耕してくれて猫の種を持つ人々を救った。小さい世界と言ったが、このヴィジョンに小さい大きいはない…不生不滅 不垢不浄 不増不減…。彼は自分の財産を投げ打ってこの畑を耕した。自利をふまえた利他精神だ。彼の背中にはお釈迦や救世観音菩薩がいると思う。彼のヴィジョンとはお釈迦さんそのものなのだろう。 本当に偉い人に初めて出会えた。化仏と言う言葉がある。お釈迦さんは板東さんに化けて僕の目の前に現れたのかもしれない。僕を悟すために。猫も化けると言うからお釈迦さんは猫にも化け「ワシを作れ」と言ったのかもしれない。 「はい、作りま〜す」
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