8月6日 (水) [2378] 家猫36
僕の血液型はAB型。 A型とB型の性質を持っている。 つまり一で無い。 ついでに、僕は子供の頃、6人家族の中にいた。 ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃん、兄ちゃん、弟。 これらは名前以外で呼ばれる名称だ。 で、問題は自分だ。 自分はみんなから弟と呼ばれたりお兄ちゃんと呼ばれたりする。 つまり一で無い。 この頃から一で無い素質を育てられていたようだ。
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8月5日 (火) [2377] 家猫35
ワシは人から、こんなこと言われる。 「いろんなことする。一つの作風ではない。作風変えましたね。八方美人」などなど。 これらって良い悪いは別にして一で無い方向だね。 一であってもいいのだが、その中に一で無いが入っていることが大切なんだと思う。 世の中、最近は一神教のキリストとイスラムがケンカしている。 だから逆に多神教であるチベット仏教や日本仏教をしっかり見ることだ。 一を信仰する土地柄の人でも知的探究のある人は究極、一で無いを知る。 まあ、宗教や政治だけでなく、個人の中にも私は正しい、と頑固に思い込む。 その中に私は正しくないかもしれないという一で無い感覚があると思うよ。 主観も大事だが、客観が希薄ではただの動物だ。 一番になりたいのも分かるが、全部であることに気付くのはとても面白い。
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8月4日 (月) [2376] 家猫34
建築ユジ君がワシの設計パースを見て「一つのメイン素材はなくパッチワーク的で面白い」と言っていた。 軽くていい表現だが、ちょっと引っかかった。 ほんとのところ、この作品はパッチワークでも見本市でもないと思う。 その表現は、表面的で何か大切なものが欠けている。 別の言葉で表現してみる。 猫だからブチ、まだら、デタラメ、ありあり、ごちゃ混ぜ、渾沌、複合、すべて、大風呂敷、密教、多神教、無… ということで、狙いは、一では無くしたいわけですな。 一はたかが『猫』。
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8月3日 (日) [2375] 家猫33
家には大黒柱というものがあった。 その他は自然素材で作られていた。 さて、今はなんだろう? 自然素材もいいが、それだけが自然ではない。 過去を懐かしがることが大切なのではない。 自分というものを構成している自然素材を考えてみよう。 …オラだって自然から生まれた自然素材の固まりだ。 ここまで家猫を考察してきて出て来た自然素材は、猫、チンコマンコ、森、赤子、デタラメ、多神教など。 よくみりゃ、どれも始源みたいな。 これが大自然の大黒柱だろう。
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8月2日 (土) [2374] 家猫32
思うのは、人々は無我の方向に向かっているなぁ、と。 作らないという表現のために作る。 そんな知的なとこだけ肥大化したのが、四角いモダンだろうね。 打ちっぱなしなんかその最たるものだ。 しかし、それじゃあ、勉強した偉いお坊さんで悟れやしない。 どぉ〜んと立派な本物の無我がいい。 極みです。
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