3月6日 (火) [1872] 吉日47
FINE,CLOUDY LATER,HAIL ふと「喜捨」という言葉が浮かんだ。これは施しの意味合いが強いが、掘り下げてみると良い悪い好き嫌いに関係なく心にある捕われ全てを捨てれば迷いが無くなりほんとうの喜びに満ちあふれるということだろう。だからこの「喜捨」のなかには「本当に喜びたいなら楽しみを捨てる」というのも含まれている。これは妙だが「楽しみ」というのは「苦しみ」があっての「楽しみ」であるから、その「楽しみ」とは「苦しみの幻影」という事なのだ。幻影を追っていてはいつまでも苦しみは無くならないことになる。そこで幻影を追わない事が本当の喜びなのだ。そうなると真実が目の前に明確に現れてくる。この現実は幻影を追う者にとっては苦しみであるが、幻影を追わないと認識した者にとっては本当の喜びなわけだ。つまり幻影を追わない者にとっては「苦しみは捨てない」が真の喜びとなる。前に言った「苦しい人を見ると捨ててはおけない」と繋がる何かを感じた。
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3月5日 (月) [1871] 吉日46
RAIN 人は金満家や有名人や世界一などに憧れるが、それらは『英雄』には及ばないだろう。『英雄』はそれらを凌駕していると共にそれらの中にもそれ以外の全ての中に誰彼関係なく存在する。存在はするが芽を出すとは限らない。きれいな魂のようなものかも知れない。芽を出させるのに努力は関係ない。どんな方法も無い。芽を出さないから人はますます貪欲になる。芽を出させたいがために‥ ただ最も大切な事は、絶対に『英雄』という魂を忘れない事だろう。 これが「志し」であり「願い」だ。
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3月4日 (日) [1870] 吉日45
VERY FINE 英雄。 どこか心の奥にひっそりと佇み、日の目を見る事もなくなってしまったかもしれないが、子供のように純粋無垢な感覚で、唯一何事にも優り光り輝く神のごときエネジーではないだろうか?大きな愛や大慈悲や勇者やサムライ魂と同じものだろう。昨今、サムライがブームになるのは人々の中にあるたった1%の「苦しい人を見ると捨ててはおけない」自分、それが輝き始めているのかも知れない。
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3月3日 (土) [1869] 吉日44
FINE たった1%だけ。 自分の中に何%の「苦しい人を見ると捨ててはおけない」自分がいるかといえば、たぶんたった1%かも知れない。それ以下かも知れない。そんな僅かな者なんか無視してしまえ、気にするな、見過ごそう、知らんぷり、しょうがない、忘れよう、見て見ぬふり、誰かがなんとかしてくれる、他人に委ねよう‥などと決め込む。しかし、自分が苦しんだりするのは、このたった1%がネックになっているのではないだろうか?そこを無視して残り99%の自分の為に何か楽しい事を求めて考えたり向かったり現実のあらゆるものを手に入れても、ふと、空しくなるのは‥腑に落ちないのは‥満たされないのは‥、その「苦しい人を見ると捨ててはおけない」自分である1%が、自分が生きる事にとって、命にとって、たぶん最も重要な要素を秘めているからだろう。このたった1%の「苦しい人を見ると捨ててはおけない」自分を満たしてあげれば完全に100%満たされる。 これが『英雄』というものだろう。
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3月2日 (金) [1868] 吉日43
FINE また世界征服とか世界一とか世界制覇とか超大金持ちとか超有名とかの欲望を持つのは、全ての人の本質にある∞及びゼロという宇宙的一体感を求めてのことだろう。しかしその世界一の欲などは小さい欲といえる。なぜならバラバラな小さい自分の欲だからだ。これで得た幸せもたいした事はないだろう。ではバラバラでない大きな自分が欲した幸せとは?そんな幸せ感じてみたい。だから人は大きな自分になるために「苦しい人を見ると捨ててはおけない」という思いを持つのだろう。というより初めから持っている、備わっているのではないのだろうか? 苦しい人は自分の中にいるんだ。
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