5月6日 (金) [1206] もうひとつの庭
Cloudy&cold,Rain later 夜、芸人招き猫さんと夫のハワイアン?でディナーに。招き猫つながりなものだから、招き猫業界の話しになる。当然人物のネタが面白いものだから、風呂猫スタッフや猫関係者の話しで盛り上がる。 この招き猫界なるもの、ワシから見ても変な人物の集まり。変といっても芸能人のように目立つから変というものではない。芸能の方はその面白い才能を使って意識的にまわりを楽しませている。街で見かける変わり者というものでもない。あれらは自己主張しているわけで、変という評価を敢えて狙ってやっている。この招き猫界の人達は別にパッと見りゃなんでもない者なのに、こうやって長い間付き合っていると面白さが見えてくる。庭木のようなものかもしれない。日本にある木なんてどれもそう変わりはないと思うが、よくよく観察してみると面白い。それに近い。だから招き猫界の人達は、ワシのもうひとつの庭みたいなもんだ。環境=庭だからちゃんと観察して居心地いいところにしておかなきゃならない。なんでもそうかも知れないが自分の身の回りに面白いもの新しいものがころがっている。遠くに面白いものがあると思い込んでいるから、それに気付かないんだ‥ 招き猫関係者の話しでディナーは大笑い。ひとんちの話しを笑いのネタにしてはいけませんプンプン、などと注意されたりもするが、ひとんちの話しではない。ワシやワシの作品を取り巻く大切な環境ですよ。ワシの庭の話しです。笑いは活き活きする為の潤滑油‥
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5月5日 (木) [1205] アートジジィ
Fine 画廊というところには変な人物がやってくる。特におかしいのは年とったじいさんだ。ここの画廊は下町にあるので、下町が似合う職人的じいさんがやってくる。このじいさん達は、妙な恰好やなんか芸術に携わっているようなファッションをしている。ワシに話しかけてくる。始めは友達もいない寂しい年寄りと思い話しを聞いていると、どんどん調子にのって自慢話になってゆく。わぁヤバイヤバイと席をはずすと、ついてくる。自分の話しはたいそう面白いと勘違いしている。頼むから話しを聞いてくれ。今度、アトリエに遊びに行きたい。飲みに行こう。友達だろう。いつの間にか養子縁組の話しにふくれ、君に全財産をあげよう、などという話しになるわけがない、ならなくてもいい。調子に乗ったじいさんは、僕を掴まえられないと解ると、今度は辺りかまわず他のお客をつかまえては自慢話。 銀座や青山辺りの画廊では、毎度オープニングパーティに来て只酒只メシ食って挙げ句の果てには、来ていた若い女の子までテイクアウトしてゆくすごいジジィもいる。年季を積んでいるから、アート好きな女の子を落とせるぐらいの芸術言葉は備わっているのだ。彼らの職業は、アートプータロー。ワシも、将来はそんなアートジジィになって女の子ナンパするのかもしれない‥
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5月4日 (水) [1204] キチ
Fine 連休で、天候もイイから、わんさと人が来た。 ところで珍しい人が来た。ずいぶん前になんかのテレビ番組の収録でギャラリーふくふく猫がでた。その時出てたタレントさん、ロックミュージシャンのキチリバー。名前にキチがつくから縁起がいい。そんなんで縁起物作家のワシと縁があったのだろうか。彼、その時、鼻血の出ているすごみ招き猫を手に入れ、時々ふくふく猫に顔を出しては作品をゲットしているらしい。ワシ、あんましテレビは見ないので、どんな人だろうとテレビで見た時は気にするようになった。恰好いい男と感じた。目のシバシバと足の上げ具合が美しい。こんなポーズを見せられる人は、ミュージシャンにしろ俳優にしろ世界にいないんじゃないかな?そのキチリバーが美しく清楚で控えめな方を連れやってきたのだ。キャー、ピーピー。こういう職種はまわりから見られ騒がれるから大変そうだが、会っただけでまわりに幸せを与えてしまうって感じがいい。いやいやほんとに嬉しいもんです。
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5月3日 (火) [1203] 境目無し
Fine 今日は天気がいい。久しぶりの知人がぽつりぽつりと来て、なんとなく集まったものだから、夕方みんなで銭湯へ。風呂から上がり、ウツが田舎から帰ってくるというので、飲物食い物買ってウツんちで乾杯となった。 何年ぶりだろうね。銭湯入ってアパートで飲み食いなんて。学生時代やモラトリアム時代はよくこうやってくだくだ騒いで家にも帰らずいろんなところ泊まり歩いたものだ。銭湯もいろんなところにいった。金がなかったせいもあるが、なんか、今より贅沢な時間を過ごしていたように感ずる。最近はこんな事やらなくなったもんな。でも、これって惰性でやり続けてしまうところがある。んな事続ける体力も暇もなくなってきたんだろうね。 でも、たまにこういうのイイワ。どこまでが仕事で、どこまでが遊びで、どこまでがダラけで、どこまでが真面目で‥、とにかく、いい加減で境目がない。 全体と一緒に生きている感じで心地よい‥
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5月2日 (月) [1202] 実験
Cloudy 今回の個展は生猫のポーズを粘土で小さく作った。これらの作品は自分にとって初めての試み。今まで猫らしい猫というものをまともに作った事がない。ワシの作品を知っている人は、たぶん生の猫などはもちろん作っていると思っていた事だろう。ところが、今までは擬人化された猫やデフォルメされた猫ばっかりで、本物の猫をマジで作った事などないのだ。初めて猫を作り始めた時は生の猫を一生懸命デッサンしたが、足を作るのが面倒でいつの間にか正座の招き猫になってしまった。 今日は個展休みなので、ウツアパートでボーッとしながら、次回の作品はあんな事しようこんな事しようと考える。一昨日、いつも悩んでいる作家なっちゃんがやってきて、あいも変わらず悩んでいた。ワシ、そこまで深く悩む事は最近ないが他人事とは思えない。いつだって、これだ!と思う作品ができ、発表してしまったら、どうでもよくなって冷めてしまう。よし、今度はこれだ!とまたできるのだが、また冷めてしまう、この連続で、次のがたまたまでるからいいものの、でなくなった時がオゾロヂイ‥ 今朝、ボーッとしていて、ハッとした。これだ!なんて結論はない、これは『実験』なんだ!と。これだ!という結論をつけたいのは安心したいからだ。しかし、この安心というのは、ほんとうの安心ではない。不満な心が描いた安心だからね。 どう?なっちゃん、実験だと思えば創作は心惑わす事も少なくなるのではないだろうか?実験に失敗はつきものだからね。
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