8月21日 (木) [2393] 家猫51
板東さんとの出会いは、縁というものだろう。 僕が十二支猫というものを作った。 十二支を猫が噛みついているものだ。 十二支の中に猫がいないから、猫の復讐だ。 後で知ったが、十二支には逸話がある。 神様が動物共に1月1日に集まれ!早い順におごるぞ、と声をかけた。 猫はその場にいなかったので、ネズミに聞いたら、ネズミは猫に元日は神さんも忙しいから2日だよ、とウソついた。 ネズミは牛の背に乗り、ゴール間際でヒョイっと跳んで一位。 猫はなんもおごってもらえなかったし騙されたから今でもネズミを追いかけているそうな…とか言われているが、そうではない。 猫はネズミを一睨みしただけで、ネズミびびって地下に潜ってしまった。 住み難いとネズミは新大陸アメリカに。 そこにネズミランドまで作って銭儲けに全国展開した。 猫はというと、病気蔓延させるネズミを退治し人のためになったということで縁起物ナンバーワンの招き猫になった。 その後、招き猫になった猫はその偉業を讃えられ神様にまで昇格した。 神様にはなったが、のんびり天界で過ごすことなく、この世界に降りて来て、これからは家猫となって人々に幸せをバラまくつもりだそうだ。
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8月20日 (水) [2392] 家猫50
ワシの作品を世に広めてくれたカメラマンの板東さんの嬬恋にある家だが、コンクリートの打ちっぱなしだ。 それは初期の頃招き猫ミュージアムだった。 建てようとしていたとき、どんなものが建つんだろうと想像した。 板東さんは招き猫のコレクターでは日本一、それでいて猫のカメラマンとしてもなかなかすごい。 そんな彼が建てるのだからね。 猫の巨大なオブジェかなと思っていたが、そんな馬鹿げたことはなく現代建築風。 それもそうだ。 巨大猫などは遊園地にあればいい。
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8月19日 (火) [2391] 家猫49
家を建てることを絵日記で知っていて、猫の家なんだって、と聞かれる。 みんながイメージしてるのは絵日記の絵のようなものだったり、遊園地のオブジェのようなものだったりだ。 違うもんね。 猫からのイメージではあるがそう単純では面白くないだろう。 例えば、他の建築家の建物を具象化してみる。 雲を見て、竜だ、ソフトクリームだ、亀だ、鳥だ、と言う子供みたいに。 たいていの建築は積み木細工だが、時々変わったものがある。 前にも言ったようにコルビジェのロンシャン礼拝堂はチンコマンコ。 藤森照信の高過庵は2本足の鳥。 他に動物以外では植物はもちろん、キノコやクモの巣に見えるのもある。 最近はカビのような曖昧な感覚や浮遊感が欲しいのかクラゲとか浮き草ものとか、水生生物が地上にでてきてる。 自然界では飽き足らず建築以外の芸術作品も加わっている。 芸術作品とは究極は自然であるからね。 このようにどんな建物も具象化してみると街歩いていてもけっこう楽しい。 で、家のデザインを描くのに今度は逆に具象的なものから抽象的なものにしてゆく。 だから猫が家になるといってもそう単純じゃないわけですね。
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8月18日 (月) [2390] 家猫48
漫画は線で表す。 手書きの線は美しい。 それと似ているのが立体化した自由な線、手びねり粘土だ。 漫画で思い出したが、ずいぶん前、いたずら書きをデタラメにした。 左手で描いたり足で描いたり目をつむって描いたりする。 わざと、目や鼻などの配置を適当にずらすなどなど。 それをそのまま忠実に粘土で立体化する。 なかなか面白い展覧会になった。 それが「セブンセンス」という個展だった。 セブンセンスというネーミングは第六感より高度という意味合いでつけた。 この実験のおかげで、精神的にかなり広大になった感じがした。 どんな線でも立体化できるようになった。 漫画家さんのマンガなども子供のいたずら書きや下手な人の絵なども自由に立体化できるようになった。 ま、今度はそれが建物に向かっているわけですな。
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8月17日 (日) [2389] 家猫47
知的に構築されたなんとかイズムとかの枠組に入らない方がいい。 そんなところにいれば高慢になってしまい本当の自分を見失ってしまう。 ワシなんかも猫界のようなところにいるみたいだけど、いないもんね。 ワシのやり始めの頃はそんなもんなかったからね。 よくよく自分の裸を知ることだ。 知以上のものがあるってことを悟れば、知に捕われる事はない。 僕の尻には未だに蒙古斑がある。
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