もりわじん絵日記 2003. 2
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2月18日 (火)  [461] 電話線

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さむい。
今日はパソコンをADSLにするためのモデムとやらを接続しようと思ったが、電話のある所とパソコンのある所が離れているので、パソコンルームに電話などを移動するための大改造計画がなされた。
まずは、パソコンルームの狭い変な押し入れを棚にするためボロボロのふすまをはずし、外で焼く。
レンガの焼き場をこの間取り払ったので、小さいドラム缶みたいなので焼くのだが、酸素が入らないので、なかなか燃えない。
そのうち小雨になってきた‥まったく。
それでもふすま焼きやっと終わり、モデムに電話線やらなんやらのコードを接続する。
よし、これでOK。
ところがどうしたことか電話がつながらない。
あれ?間違いは無いはずなのだが‥また変なトコいじってしまったかな?
あちゃこちャやっているうちに、もう夕方になってしまった。
あ"〜!!!発見!!電話のコードが、ブチッと切れてる。
そういや、ここで、ヨンダイ、ガリガリのブチブチやってたな‥
ガビーン、噛み切ったか?引きちぎったか?
この電話のコードとやらは、普通のコードと違いくっつけることができない。
切れたらそれまで。
まったく今日は電話無しにして、夜、街まで電話線を買いに行く。
パソコンルームに棚を取り付けるために、板や釘を買い、焼きものするカマドなるものも見つけたのでそれも手に入れる。
なんと、もう8時、風呂でも入って帰ろう。
あ〜、あっ!雪だ、寒いはずですね。
と、一日経った今、こうやってパソコンは通じたのでありました。


2月17日 (月)  [460] 本能

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とってもいい天気だ。
こんなに、こんなに天気いいのに、世の中戦争戦争と騒いでいる。
「争うということは、本能に根ざしているのではないですか?」
いいえ、違います。
本能というもののせいにしているだけです。
本能というものを考えたのは、人間の知識であって、知識はそれ以上奥まで進めない。
だから、本能を結論としてしまって、もはやもう探究はしない。
これは単なる創造力の欠如及び怠慢です。
いわゆる思いやりとか愛とか情とか慈悲心が無いのと同じ。
人間の知識・思考なるものが戦争をしているのです。
人間の知識を最大限使ったとしても、いまだに人間は人間を作ることが出来ません。
作ろうとして、たかだかぎこちない重いロボットか自然からの借りものをいじったクローンぐらいなものです。
天から見れば、サルがナイフを使ってリンゴの皮を剥いて威張っているようなものです。
人間の知識など、たかが知れているのです。
頭と身体の神髄から表面だけで無く、知識だけで無く、それに気付くことです。
だけど、知識はとっても大切です。
知識とは車のようなもので、とても便利でいろいろ楽にしてくれるものです。
しかし、いつも車の中に居たんでは、外のほんとうの景色や豊かさは解りません。
なんでも無い普通の男の子がスポーツカーに乗り、自分は強く偉くなったと思い込んで吹っ飛ばす。
車に振り回されているのが戦争です。
戦争とは相手を犯すこと、愛を感じたことも無く未熟な欲むき出しの自惚れ強いエゴがやることです。
人間はいまだに進化せず、動物の本能の真似・コピーをして過ちを犯しているのです。
まだ、動物の本能(純粋な本能)の方がましです。
恨みも復讐も無いから‥
あ〜あ、知識がなくなるまでちゃんと探究すれば、知識では見たことも無い美しい花が咲くのに‥


2月16日 (日)  [459] 断食

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曇りで小雨が降っている。
目覚めはいいが腹へって腹へって気力というものがない。
昨日はなんも食ってないのに、働き過ぎたかな?
昼、特製野菜ジュースとヨーグルトで、再び活力を注ぐ。
「あ〜一時はどうなることかと‥死ぬかと‥」とSS(食 させろ)。
いや〜ほんと頭がモワ〜ッとして、ちょうど40時間断食、変な感じだった。
断食してて思ったのだが、人はほんとにほんとに食事するのが好きなんだなぁ〜と思った。
この食事という時間がないと時間が余るから、いろんなことをバンバンできる。
それも、メシ代を稼ぐという方向ではないので、遊ぶようにできる。
でも、あんまり動き回ると体力も尽き果てるから程々にする。
そうすると、なんか食いたくなるが‥それは止めにする。
すると、とことん退屈になる。
テレビなどを見てみるが、頭が働かないからそれほど面白くない。
あ〜まったく楽しみがなくなったなぁ。
この時、食事というものの価値がすごいものだったと気付く。
その後、外の情報というものに興味がなくなる。
もしかして、ワシは災害で生き埋めになってしまったのか?
そんな妄想もアホらしくなり消え、ただただ自己の内面を見つめたくなる。
‥やはりなんも考えられないから思考もなく。
さてと、絵でも描いてみるか、とクレヨンやら鉛筆やらを持ちスケッチブックに何の目当てもない絵を描く。
早く描いた線、遅く描いた線、力を入れた色、力を抜いた色と様々な風景が独りでに湧き出て目の前を埋めては消えてゆく。
ア〜心地いいぞ〜と、昨日の夜はずう〜ッと描いていた。
今日は、のんびりと身体を復活させ、おやつに紫イモのようかんを聞香茶で食べ‥てるところに冒険王が雨の中、NYに住んでいる建築デザイナーのいとこと来たので、楽しいお茶タイムとなりました。
でも、紫イモ半分に減ってしまった‥くそぉー!


2月15日 (土)  [458] 天の目

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いい天気だ。
紅梅も白梅も花が咲き始め、前に咲いた黄色のロー梅もあるので、梅梅梅で心地よい‥咲いているのは数える程しかないけどね。
今日は断食しようと、昨日の夕飯は軽くとった。
さあ、一日メシの心配はない、いっぱいいっぱいの時間だー
さて、まずは窓を全開にし和室の座布団やら布やらを外に出し天日干しにする。
お腹と同様に部屋もからっぽにしたら、風が入り鉄の風鈴がチンチリリーンとなって心地よい。
壊れているイスを、この間剪定した百日紅の枝で補強する。
ロー梅の花がデッキから見え難いので植え替えをする。
あとは、ばんばん粘土いじり。
…断食というものは、精神と肉体を自由に解放してくれる。
人はだれでも平等に自由で軽やかに楽しんで平和であるはずが、だれもがなぜか何かに苦しんでいる。
苦しいのは、頭が知識の取り過ぎで身体が食べ物の取り過ぎだからでは?
ほんとは自由で空に浮く程楽しいのに、余計なもの詰め込んで頭も身体も重くて身軽でなくなり不自由になっている。
その不自由の原因は、他所の人や考えや国にあるのではなく、自分にあることを知らねばならないのでは?
人の身体は大きい意味で食べ物や空気を摂取して出来ている。
食べ物が身体の中にいつまでもたまっていたのでは、固く重くなる。
固く重くなると、本来軽やかだった本性は、軽やかな自由を求めるようになる。
詰まった脳は、軽やかな自由をどうやって手に入れるかを考える。
詰まった脳で考えられた自由とは、なんでも食べれる、なんでも自分のもの、争ってでも殺してでも手に入れるという貪欲であって、それは真の自由とは程遠い。
なぜなら、詰まった重い脳には軽やかさは夢幻であり理解できないからだ。
これではいつまで経っても、空も海も軽やかに遊ぶ子供心は絵空事である。
子供の頃は何も持ってなかった‥年とともに知識や食べ物のカスが身体にたまり、思考が重く暗く淀み、懐かしき軽やかさを求め、偽りの快楽に何度も出合うが、満たされず、彷徨う。
さあ、持ってきた荷物をひとつずつ下ろし、軽やかに頂きに歩もう。
そこからはまるまる地球が見える‥天の目を持ったかのように。


2月14日 (金)  [457] 筋肉痛

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すがすがしい朝です。
庭に出て、昨日作った芝生の所に行って座って眺めてみる。
こうやって寝ッ転ぶだろう‥そうすると‥足がこうなるから‥こっちに転ぶと‥こうなって‥夕方の陽はこうだから‥こう身体がこうなって‥
ん〜この焼き場、邪魔だな。
ということで、朝飯前に焼き場のレンガを取り除き、また土を盛り芝を敷き平らにした、楽しい。
なんか、昨日の庭作りが楽しみのきっかけとなったのだが‥
冬の間閉じこもっていたので、庭の楽しさがこんなにすばらしいことを忘れていたようだ。
もう芽が出そうでない錦木を根元からチェンソーで切り、マグノリアも植えかえた。
それと、余ったレンガで囲いを作り畑を増やすことに。
なるべく野菜は自給自足するのだ。
最近めったに食うこともない生野菜何種類かとカボチャと玄米の粉と紫蘇の葉のエキスと黒酢と水をミキサーにかけジュースとして飲んでいる。
これが意外とうまい!
飲むとビタミンABCD‥葉酸・カルシウム・マグネシウム・カリウム・鉄‥などなどの栄養素が、身体の細胞のひとつひとつの所に行き渡り、細胞の中の疲れ果てた栄養素とバトンタッチするのが感じられる。
なんか元気もりもり、もりわじん。
朝仕事を終え、風呂はいったら身体のあちこちの筋肉、腕腰腹胸足、嬉しいのはお尻‥引き締まったお尻になるかしら?
夕方になった頃には、座るのが大変なくらいにお尻の筋肉や足の付け根が痛いので、風呂屋にいってほぐすことに。
あ〜風呂はいい、心地よい筋肉の痛みジャー


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