3月9日 (水)  [3327] 公美堂91

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 しかしやはり本質は削除されるわけがないから、朝の目覚め時ベットの中やひとり夕陽を浴びているときなど、本質である内面を傾聴することになる。『ファンタスティク』として開放的に発散した地に足の着いていない意識はいつの間にか同時進行的に閉鎖に向かっていた。夏の暑さと冬の寒さが独立してあるものではなく相関関係にあるようなものと同じだ。心の病は美しい防壁であるとともに超えたい障壁でもある。その後、捨てた澱の祟りなのか恨みなのか僻なのかもう半分の世界に揉まれいじり遊ばれ笑わされ卑屈に楽しまされ飽きられる。それがまた恐怖という感情を頻繁に与える。その先は世間から捨てられ『二十歳』は路地裏のゴミを漁る浮浪者『バッチィ』になる。